大法弟子は必ず精進しなければならない(一)
文/遼北の大法弟子
(明慧日本)明慧ネットと正見ネットでは、よく同修たちの精進して修めることに関する修煉体験や弟子切磋の文章をよく見ます。非常に啓発を受け、共感しました。
法を正す時期の大法弟子として、師父が私達に教えられているように「上士、道を聞けば、勤めて之を行う」であるべきです。でなければ、最後まで歩むことができません。師父が法を正されることに遵い、円満成就して師父と一緒に天国世界に戻ることができません。つまり、自分の宇宙の中にある衆生を救うことができません。これはいずれも、確かな事実です。修煉の過程で、師父は何度も私に啓示を与えてくださり、私の大法の法理に対する悟性を強化してくださいました。以下、自分が修煉する中で起きた神秘的な体験について、皆さんと交流したいと思います。
私は1996年から法輪功を修煉し始めました。最初は、『中国法輪功』、『転法輪』、『法輪佛法大圓満法』などを読みましたが、さまざまな原因で修煉をしませんでした。しかし、2004年1月、夫(同修)によって何度も説得される中で、やっと大法の修煉を始めました。修煉する中で、患っていたさまざまな病気が消えてなくなりました。見た目は同じ年齢の人より十歳以上若く見えます。しかも、私は天目が開いているので、大法のさまざまな神秘的な情景が見えます。
そうであるにもかかわらず、私は古い学習者のようには精進していないと感じています。そして、自分は修煉し始めたのがあまりにも遅いので、法を正す時期が終わったら圓満成就できないのではないかと思い、そのため時々怠惰になってしまいます。しかし、このようになるたび、師父は私に啓示を与えてくださいます。ある時、発正念をしていると、私は雲の中にたたずみ、金色に輝く大きな建物の前に立っていました。建物は非常に高く、この上なく美しかったのです。しかし、どうあがこうとこの建物の中に入ることはできません。いつも周囲を徘徊していました。しかし、師父が精進しないとこの門に入れない、この世界に入れないと啓示を与えてくださっていると気づきました。またある時、正念を発しながら私は寝てしまいました。金色の冠をかぶったある王女が、大きな椅子の真ん中に座って背中をもたれながら居眠りをしていました。そして、私が横になると彼女も横になり、私の掌が倒れると彼女の掌も倒れます。そしてついに、私は「あなたはどうして眠く感じるのですか」と言うと、寝ていた私ははっと目が覚めました。そこで、自分は大法弟子であり、師父は私をより高い次元の王にならせようとしてくださっているのに、これでは無駄になるのではありませんか。
私はこれまで、精進したりしなかったりしてきました。師父は何度も私に啓示を与えてくださいました。ある時、第五式功法の静功をしていると、私は山の上に座って結印し、座禅をしていました。そして、山の下の方に数えきれないほどの人が一歩一歩、私の方に上がって来ているのが見えました。そしてその人たちは一歩進むたびに、私に向かって地について頭を下げていました。私は心の中でやっと、この人達は私が救うことを待っている衆生であることに気づきました。衆生は私を待っているのではないでしょうか。私が精進すれば彼らがやっと救われるのです。同修たちよ、精進するかどうかが、数えきれないほどの衆生が救われるかどうかにかかわっており、どれほど重要なことでしょうか。そう悟ると、私は思わず泣いてしまいました。
(続く)
2009年4月17日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/10/198667.html)
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