悔いのない路(二)
文/葫芦島市辺鄙な山岳地帯の大法弟子・民心
(明慧日本)1999年7.20から、テレビでは毎日のように大法を誹謗中傷する内容を放映し、天安門焼身自殺のような偽りの事件を作り上げ、妻子を殺害したデマなどを放送していました。私の家族全員も騙されたのです。私は修煉を諦めるよう圧力がかけられ、再三にわたり説得されました。最初は舅と姑が私を説得し始め、らちがあかないと思うと、今度は叔父(姑の兄弟)まで来て私を説得し続けたのです。私はこの機会を逆に利用して真相を伝えました。「私はわずか数カ月で健康を完全に取り戻し、文盲だった自分が『転法輪』を通読できるようになりました。テレビが放映した内容は虚言です」と説明しました。叔父に対して「日常生活のことに関しては何でもお聞きします。しかし、大変申し訳ないのですが、大法修煉を諦めることはできません」とはっきり答えました。意志が固いと見た叔父は「分かった。家で修煉しなさい。出歩かないように」と注意して帰ったのです。
私を説得できなかったことで、夫は激怒しました。ここから私の修煉環境はますます厳しくなりました。ある日、私は部屋で神経を集中して学法をしていました。すると、夫が突然入ってきて本を奪い、お互いに本を奪い合っているうちに、本を地面に落としてしまったのです。私は急いで宝書を拾い上げ、両手で胸に抱きしめ思わず泣き始めました。「この本を投げ落とすぐらいなら、私を殴った方がいい。この本は私の命よりも大事なのです」と言いました。そして、泣きながら夫に「修煉し始めてから今日まで、いつも『真・善・忍』に基づいて厳しく自分を律してきました。私の病気が治り、どれたけお金が節約できたのか、家事や外回りの仕事も私1人でやっているでしょう? さらに親孝行するようになり、私のどこが間違っているのでしょうか?」と聞いたのです。
この日から、家から追い出され小屋で学法することになりました。冬の季節はとても寒く、暖房設備もなく、ジャンパーと手袋をはめて、15w電球の下で学法をしました。諦めようとしない夫は小屋の電気を停めたのです。そのため蝋燭の灯りで学法していました。すると、今度は蝋燭の灯りも消されたのです。私は泣きながら夫に「あなたは毎日タバコを吸い、マージャンをし、どれたけお金を使っているでしょうか? 私は一生懸命仕事をしているのに、もしかして蝋燭で灯りをとるお金も稼いでいないのですか?」と尋ねました。夫は「この村で何人も法輪功をやめたじゃないか。中には学校の先生もいたし、あなたよりずっと賢い人ではないか?」と言いました。「この功法が素晴らしいのはあなたも知っているでしょう? 私はこんなに元気になったのだから、誰が止めようと私はやめるつもりはありません。どんなことを言われても無駄です。これ以上無理強いするのなら、私達は別れましょう。私はなにも要らないので、この本だけ持って行きます」と言い返しました。夫はその後、何も言わなくなり、私は小屋で3年間学法し続けました。
2001年になって、師父の新経文を初めて学びました。そこで初めて正法しなければならないことが分かりました。同修達と協力し合って真相資料を配布したり、横断幕を掛けたり、標語を貼ったりしました。初めは家族がこの事を理解できなかったので、いつも内緒で出かけていました。近くが終われば、同修達で車に分乗し、遠いところに行きました。
ある時、市場の入り口に長さ5メートル、幅2メートル、上に「法輪大法が世界中に伝わる」と書いてあり、下は「江沢民が世界中で告訴される」と書いてある横断幕を掛けようとしました。30分ほど正念を発した後、男性の同修2人が掛けることにしました。残った同修は続けて正念を発しました。同修の肩を借り、次々と約5メートルの高さまで登っていきました。すぐ下の道路は車の往来が多く、本当に奇跡でした。何の妨害もなく、無事に掛けることができました。しかも3〜4日間掛け続けました。
また、ある日の夜、4人の同修が10km離れたところへ真相を伝えに行きました。その時、途中で一本の川に行く先を阻まれました。誰も懐中電灯を持っておらず、皆が悩んでいるとき、突然後ろから車のライトのような光が差し込んできました。振り向いてみると車もなければ、他に光を放つようのものもありません。この光は私達が川を渡り、村を通り過ぎるまで共にありました。これは間違いなく師父が助けて下さったのだと悟ることができました。資料を配布する途中に何度も後ろから「何者だ! 止まれ!」と呼ばれたのですが、私たちは怖がらずに続けて真相を伝えました。その後も徒歩や、自転車に乗ったり、車に分乗したりして真相を伝えに行きました。
さらにある出来事がありました。50戸前後のある村に真相を伝えに行きました。田舎ではほとんど犬を飼いますが、周りはいつもより静まり返っていました。正念を発しながら資料を配り始めたのですが、真相資料が金色の光を放っているのが見えました。ある家の正面玄関に資料を入れようとしたとき、足が何かに引っかかったようで、見てみると大きな黒い犬が横たわっているではありませんか! しかし、その犬は何ごともなかったような様子で吼えもしなかったのです。
この9年来、昼も、夜も、靴を修理していても、髪を切っていても、車に乗っていても、市場で買い物をしていても、どんなときも、どこでも恐怖心がなく、正々堂々と真相を伝えてきたのです。ある時、買い物先で計算を間違え、お釣りを余分に20元もらいました。時間を見つけて返しに行きました。店主は喜んで「今の時代にあなたのようないい人はいなくなりました」と言いました。「私は法輪功修煉者です。『真・善・忍』に基づいて修煉していますので、損をしてもいいけれど、得をしてはならないのです。あなたも商売で毎日辛い思いをしているのだから」と言いました。
彼は「わざわざ返しに来て下さり、有難うございました」とお礼の言葉を述べました。私は「感謝をするのなら、大法と私達の師父に感謝してください」と言い残して店を後にしました。2002年に実家に戻る用事があり、私は真相資料200冊とCDを持参してバスに乗りました。事前に家で正念を数回発したのですが、バスの中でも強い正念を発し続けていました。そして、無事に実家にたどり着けたのです。そして、資料を配ろうとした時、二番目の弟(常人)が手伝うと言い出し、短時間で資料を配り終えたのです。翌日、私の叔母がこのことを派出所に告発しました。派出所が私を拘束するための準備をしているという情報を聞きつけた隣の叔母さんが、すぐ家から離れるよう忠告してくれました。私は荷物をまとめ、いち早く実家を離れました。家に着いた途端、弟から電話が掛かり、私が離れた直後にパトカー4台に多くの警官が乗り、家にやって来たとの事でした。危機一髪で危険から脱出できたことは、すべて師父が按排してくださったと悟りました。
(完)
2009年4月18日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/4/4/198351.html)
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