日本明慧
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日本:10年の判決を受けた弟の救出を呼びかける(写真) 文/日本の法輪功修煉者・解運華 (明慧日本)私は解運華(日本名・博林光弘)と言い、日本の静岡県藤枝市にある会社の社員で、法輪功修煉者である。私の家族6人は1996年から法輪功の修煉を始めた。1999年7月から江沢民集団が法輪功に対し残酷な迫害を始めてから、中国にいる5人の身内はそれぞれに迫害され、唯一人、私だけが海外に居住していたため、幸いなことに迫害から逃れることができた。
弟が10年の不法な判決を受けた 弟は1999年4月に語学留学のため来日した。しかし、法輪功への迫害に対して国に陳情するため、強い意志で学業を放棄し、2000年2月に帰国した。国に戻ってから間もなく、黒龍江省鶏東県の警察によって指名手配されたため、その時から外地で離散生活をしていた。2001年3月に音信不通となり、行方不明になった。5月末に弟が託したメモ用紙が届けられ、2001年3月12日に北京公安部のスパイの手によって拘束されたことが初めて分かった。弟の手元のメモ帳に数人の電話番号があったため、日本から送られたスパイと疑われ、厳しい取調べを受けた。調査した結果、本人は法輪功修煉者であり、電話番号も法輪功修煉者のものと分かった。中共は大量の人力と財力を投入し、国が得意とするスパイ手段を用いて法輪功に対する迫害を行っているのである。 後に、悪名高い団河労働教養所に収容され、洗脳、長時間睡眠させない、暴力など精神的、肉体的に迫害された。更に所内は不衛生なため疥癬に感染し、身体は極めて悪い状態であった。2001年7月に身柄を鶏西第一留置場に移送されたが、家族はそのことについて何も連絡を受けていなかった。自称いわゆる法治国家という江沢民ごろつき集団は、ヤクザ社会のような手段を用いて何らの罪も犯していない自国民を惨殺しており、このようなことが、中共統治の中で現実に起きているのである。 鶏西第一留置場は「真・善・忍」を修煉する善良な人達と、凶悪犯とを同じ部屋に入れ、中からの情報によれば、20平方メトールの部屋に40人が収容されていたといい、その状況は想像を絶するものがある。迫害の不法性と手段は残忍であることから、家族との面会も許されないため、弟の状態を知るための唯一の手段は、人に託した僅かな言葉から推測するしかなかった。毎月一度生活費200元と生活必需品を留置場に持って行くが、刑務所の責任者や警官に搾り取られ、最後に本人の手に渡るのは僅かになってしまうのである。 不法な収容期間が1年を超え、鶏西国家安全局、警察、検察、裁判所は機を見て金をゆすろうと企んでおり、相当の金額を持って来れば、刑期を減らして釈放してもよいと賄賂を要求してきた。ある時、親戚の人に親族訪問で帰国した際に弟の様子を見てもらうように頼んだことがあり、国家安全局の警官は親戚に対し、すでに弟を娯楽場所に連れ出しており、金さえ払えば会わせてやると嘘を付いた。親戚は疑問に思い、金を騙し取られずに済んだ。いずれにせよ、中国はこのような人材を沢山輩出し、国家安全という名目で、連行、監視、尾行などの手段で国民に対し迫害し、恐怖を与えている。 彼等は賄賂の要求に失敗したため、狂ったように弟に更なる拷問を加えながら、一方では起訴をするための証拠資料を捏造し、証人、弁護士、家族が不在のまま、2002年8月15日に裁判を行った。起訴の理由として、1400枚あまりの法輪功の真相資料を印刷したこと、印刷用のパラフィン紙を90枚あまり作ったことなどのでたらめの犯罪証拠で、憲法を無視し、10年の重刑を下し、上訴の権利まで剥奪した。 2002年10月に鶏東県哈達崗刑務所に収監された弟は近視のため、規定によれば近視の人は炭鉱内の作業をしてはならないにも関わらず、修煉者に対しては、どんな法律も、どんな規則も適用されない。唯一の決まりは、修煉者であればどんな処罰をしても行き過ぎは無いということが決まっている。このように弟は強制的に危険な炭鉱に下ろされ、貨車に石炭を積み込む重労働を強いられた。後ろでは木の棒と皮製のムチを持って監視しており、少しでも気が緩むと呼ばれ、叱られ、殴られた。奴隷のような重労働は、どの労働教養所でも、どの刑務所でも公然の秘密である。 2003年5月、判決を受けた法輪功修煉者を一カ所に集めて迫害するため、弟は他の10人の同修と一緒に牡丹江刑務所に移された。ここは炭鉱のような重労働はないが、毎日強制的に16時間以上の長時間労働を強いられた。中国当局が宣伝用の文言として、国は法輪功修煉者に対して「温もりのある優しさ」で手助けしていると言っているが、その「温もりのある優しさ」とは、長時間の労働によって思考する時間と権利を剥奪し、人間を麻痺させ、絶対服従する人間に作り上げることである。 家族との面会が制限され、月に一度30分程度の面会しか許されず、そこでは敏感な話題が禁止され、話の中に敏感な話題が含まれると、数カ月または半年以上面会を許可されなくなる。前回の面会で私の家族が法輪功のことについて、ちょっと話しただけで、数カ月間、面会の権利を剥奪された。 2001年から現在に至るまで、弟は数え切れないほどの洗脳による精神的な迫害と、肉体的な迫害を受けて来た。以前から痩せていた弟はさらにやせ細り、面会した家族の話によれば、骨と皮膚ばかりの状態だという。弟のような年齢の若者は、本来は生活を心配することなく、ある程度の事業に成功しているはずだが、ただ「真・善・忍」という真理を追い求め、心身ともに恩恵を受け、信仰を守っただけで、無実の罪を着せられ迫害されるのである。 弟は哈達崗刑務所に不法に収容された半年後に、牡丹江刑務所第十管区に移送され現在に至っている。収容されてからすでに8年という歳月が過ぎ、面会する度に幾度も紆余曲折を経なければならなかった。会えたとしても回りに警官や看守が配置され、身動きが取れないのである。前回に発表した弟に関する情報にもあるように、労働教養を拒否したため、残酷な拷問を受けた。 1999年7月から、弟のように迫害を受けた若者は幾千万以上に上る。我が家族のように、無理矢理にばらばらにさせられた家族は数えきれない。 他の身内が受けた迫害状況について 母の戦清敏(67)は、2001年1月前後に不法に6回拘留され、拘留期間は合計で半年以上にも上る。毎回長期のハンストをもって抗議し釈放されたが、迫害を避けるため7年間家族との離散生活を強いられた。そして、2008年12月1日、母が離散生活をしたことを理由に、国保大隊に2千元の罰金を支払わされ、領収書などの証拠になるようなものは渡されていないという。しかも不可解なことに本人が不在のまま、2年の労働教養を科せられた。もっと理解に苦しむのは母に関わった経費として1万6千元を(罰金や保証金を含まず)退職金から勝手に引かれたことである。更に2001年に国保大隊の悪辣な警官・孫作恩と第一派出所の警官・柴立明の2人が、母を青島まで追いかけて探した経費として、5千元の金を母の給料から引いた。これは公然と奪い去ることとどこに区別があるのか! 私の義理の姉の趙玉梅(45歳主婦)は、2000年に私の母と北京へ陳情に行った時、拘束され鶏東県留置場に4カ月拘禁され、2001年の新年は留置場の中で過ごした。この年から私たち家族は一家団欒の正月を過ごしたことがない。後に罰金として6千元ゆすられてから釈放された。そして、2002年8月、私の母を隠しているとして、警察に不法に家宅捜索され、『法輪功』の書籍を発見されたため、連行され鶏西市第一留置場に拘留された。そこで、悪辣な警官がチンピラのように下品な手段を用いて、女性の法輪功修煉者に対し、スタンガンで胸、性器などを電撃し屈辱を与えた。身内の努力によって1700元の罰金を払わされ、約1週間後に釈放された。その後もよく家に来ては嫌がらせをしていた。2003年7月に真相資料1枚が見つかったため、連行され1週間拘束され、罰金を支払った後に釈放された。このような話を聞かなければ、中国の警察官が禽獣以下にまで堕落したとは信じられないだろう! 社会治安を中共のこの人間のクズに任せているのは恐ろしいことである。 姉の解明娟(42)は、現在までに4回拘留され、そのうち3回は長期のハンストによって釈放され、1回は6千元の罰金を支払わされて釈放された。2000年に母と一緒に半年間外地での離散生活をしたことがあり、2001年に北京へ陳情に行った際に電車の中で拘束され、数カ月収容された後、2年の不法労働教養の判決を下された。勤め先の会社が保証人となり、仮釈放されたが、条件として、1カ月分の給料の返上と、毎月の給与として210元で、それはわずかな生活費にしか過ぎない。 三番目の弟の解運杰(38)は、2001年1月に北京の天安門広場で真相伝える横断幕を掲げたため、拘束され、地元の賓県警察に収容され、39日間不法に拘束された。弟は会社にとって欠くことの出来ない技術者のため、会社が保証人になり、釈放された。条件として弟の行動に監視をつけており、どこへ行くにも必ず監視が付いて来るのである。 私の家族は6人が修煉しているが、中国にいる5人が迫害を受け、私だけが海外に居住しているので迫害から逃れることが出来た。江沢民政治ごろつき集団は幸せで睦まじく暮らしていた私の家族をばらばらにした。以上がその記録である。 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照) 2009年4月23日 (中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/4/4/198354.html) |
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