日本明慧
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人心を捨て去り、覚者に向かう


文/大陸の大法弟子 文一

(明慧日本)私は1996年に修煉を始めました。1999年7月20日以来の9年の中で師を信じ、法を信じて、魔難や関門を乗り越え、修煉してきました。正念正行を実行する基本は法をよく勉強し、法の中に溶け込んで法を理解し、法で全てをはかってこそ、回り道を避けて精進できます。それゆえ法をよく勉強することが何よりで、法は慈悲かつ荘厳なものです。

 法理が分かっても修煉の中にある私は心を抉られ、よく転んでいました。

  1999年7月20日に中共が法輪功を弾圧し始めて以来、大法弟子である私は師父と大法が正しいという信念を持ち、邪悪のうそを信じず、後ろへ引かず法を実証する道に入りましたが、魔難や関門や矛盾が来ると常人の心で対応し、師父の教えを忘れ、苦労から逃げ、迫害の終結を強く望み、衆生を救う使命や責任を忘れ、時間や予言に執着し、結局修煉上の障害や魔難が深まりました。

 1999年7月20日から中国全土での逮捕が始まりましたが、7月21日私は数人の同修と一緒に動揺せず大法を守るために北京行きの列車に乗りました。当時の心は非常に純真で、永遠に帰って来られないと考えましたが、北京で同修が逮捕され、1週間後私は家に帰り、それからずっと北京に行っていませんでした。当時の私は心の底に恐怖心をこっそり隠しもっていましたから、別空間の邪悪な旧勢力に見つけられ、逮捕され、労働教養所に送られました。

 出所後私は自分が「転向」しなかった人間だとして、歓喜心や自慢の心や顕示心を起こし、転向した同修を説得した後、口を修めなかったため、報告され、結局出所して2カ月後再び労働教養所に送られ、更に迫害され、1年後また人心のせいで真相資料を配る時に逮捕され、刑務所に送られました。

  私は刑務所に送られて初めて心を落ち着かせ、内に向け、何故これらのような事に私が遭ったかと探し、「最もひどく迫害されているのは、心の中に執着を抱えている、それらの学習者です」(『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」)「皆さん、ご存知ですか? 現在、旧い悪の勢力が大法を迫害する最大の口実の一つが、皆さんの根本的な執着が隠されているので、難を重くして、これらの人を探し出さなければならない、というものなのです」(『精進要旨二』「円満成就に向かって」)について師父が教えられた通り、自分の正念が足りず、衆生を救う時に慈悲心をあまり出さず、よく油断し、また情欲が重いことがわかりました。

 思えば自分は師父の書籍を読む時に常人の心で理解し、迫害を早く終わらせることを望み、法を正す時間に執着し、自分の考えで人に話したり、伝えたりしていました。師父は『スイス法会での講法』を発表された後、私は「修煉は間もなく終了するのです。師父は私たちがよく修めてきたとおっしゃいましたから、私たちの円満が間もなく実証されます」と人に言いました。実際私の考えは間違っており、翌年から邪悪の弾圧がまた始まりました。

  修煉を通し、師父は多くの講法の中で私たちの由来や使命や責任を教えてくださいました。私たちこそ未来の佛、道、神なのですから、何故自分は神の威力を現さず、天上の神は人間に降りて来て人間を救うことと望みましたか? これは常人の心で外に向かって求めているのではないでしょうか。私たち一人一人の大法弟子は積極的に三つの事をよく行い、真相をよく伝えれば、衆生の皆が覚悟できた時が、佛、道、神が現れる時期ではないでしょうか。

  恐怖心は修煉者の関門であると思います。師父の『洪吟二』「怕口舎(しゃをおそれる」に「なんじに怕れ有らば、它(た)就(すなわち)抓(つか)む、一正を念ずれば、悪は就(すなわち)土夸(こけ)る、修煉の人、法を装着し、正念を発すれば、爛鬼炸(さ)ける、神世に在りて、法を証実す」とおっしゃった通り、私は邪悪に迫害される時、刑務所にいるしっかりしている同修から強い正念をもらい、恐れず真相を伝え、結局刑務所の環境が改善されました。まず「転向」を担当している組長は「転向」の仕事をやめて離れ、次に私は別の監区に移送され、そこで私は警官や周りの人々に自分の親戚のように接し、彼らの善の一面を引き出し、大法の比類なき慈悲を感受させ、同時に自分は心を落ち着けて法を暗記し、発正念を重視し、結局邪悪は迫害をやめると共に私たちの無罪の主張を認め、犯人ではないように扱ってくれました。監区の多く人たちは師父の講法の転送に協力し、出所後法輪功を学ぶことを表明し、ある警官たちは私たちを保護し、助けました。

  修煉を通して、師父の慈悲と偉大さや法の威徳を更に感じました。師父の講法に従うことと従わないことでは結果がまったく違います。

  人心を捨て去ってこそ初めて覚者に向かうことができます。人心を捨て去ってこそ本当の修煉だと言えるのです。

 今までに私たちは多くの天機を知るようになり、修煉の道が狭くなりました。それゆえ人心の一念で自分の一朝を壊し、この万古の機縁を失うかもしれません。私たちは大法の活動をやったから功労があると思ってはいけません。最後までさらに精進し、修煉の環境を自分で開き、時間を無駄にせず衆生を救い、師父の教えをしっかり覚え、師父の期待に応えるように最後の道をよく歩み、法を正す時期の合格した大法弟子と覚者になりましょう。

  2009年4月24日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/12/13/190928.html