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真相の旗を掛ける体験


文/遼寧大法弟子 雲宇

(明慧日本)私は1998年から大法を修煉し始めた大法弟子で、今年66歳です。大法を修煉してから数カ月のうちに心身ともに大きな変化が生じて、大法の素晴らしさを実感しました。以前は多くの病を患っていましたが、心臓病、高血圧、痛風、婦人病などが数カ月でなくなり、病気がない爽やかな気持ちを感じることもできました。私は修煉前に老眼となったため、家事や読書などをするときに老眼鏡をかけなければならなかったものですが、修煉後の数年来、師父と大法を信じることによって、我々の生命中の細胞も真善忍で構成されていることを理解したため、今はめがねなしで学法などもできます。

 1999年7月20日朝、私は素晴らしい大法が迫害されたことを知り、毅然と家にあった100元を持ってほかの同修と一緒に北京への列車に乗りました。北京に到着して、我々は中南海(中共政府の中枢)に集まった途端に北京の警察に捕まってしまい、ある体育館に閉じ込められました。ただの1日で数十万人の大法弟子が北京へ来て法を実証しました。我々は師父の経文を暗唱したり、『転法輪』を読んだりして、その場で「法輪大法が素晴らしい」「法輪大法が正しい」「師父の無実を晴らせ」「大法の冤罪を晴らせ」の声が次から次へと外のスタジアムの上空に上がっていました。スタジアムの上に無数の大小の法輪が旋回して、星のように見えました。この時、大法弟子は「師父!」「師父こんにちは」「師父ありがとうございます」と叫び、感動の気持ちは言葉で表すことは出来ませんでした。同時に師父はいつもそばにいらっしゃって加護しておられることが分かりました。2日間拘束された後に我々はふるさとまで送られ、その間4つのパンと一杯の水しか口にしませんでしたが、飢餓、疲れ、居眠りなどはちっともありませんでした。

 それから私たちは真相を伝えて、衆生を救い済度し,師父の言われるとおりに、三つのことをしっかりしていました。2001年の法輪大法の日に我々は真相を書いた旗を掛けようと計画しました。準備を終えたところに、邪魔がありました。ある同修が「今夜全市の大捜査がある」という噂を伝えました。私たちは一緒に切磋して、一切の人心を放下して、計画通りにすると決めました。

 その晩、我々の所在地の郊外から市内まで、東西南北、主な通りにすべて真相を書いた旗を掛けました。当日の夜に私は娘の家に泊まりました。朝一番で、修煉しない婿が、外で皆が大法弟子は素晴らしい、真相の旗があちこちにあるぞと言っているよと話しました。私は家に帰る途中で、残った1枚の旗と法輪の画像をあまり表に出てこない同修にあげて彼を励ましました。普通は抜け道で家に帰るべきでしたが、私は歓喜心が起きて、風になびく真相の旗を見ながら大通りを歩きました。一目で見て、道端に幡がいっぱいで、鮮やかで、壮観な風景でした。一つの旗が落ちていたため私はもったいないと思って何気なく拾って掛けなおしました,もう1枚を見つけてもう1回掛けました。この時、人がいっぱいいて、警察もやってきました。警察は私が昨夜幡を掛けた犯人だと疑って、私を連行しようとしました。即時に師父の話を思い出して、決して協力せず、発正念をしながら、「どこにもいかない、家に帰ってご飯を用意しなきゃ」と話しました。警察は私のバッグを奪って証拠を探そうとしましたが、なにも出てこなくてあきらめました。

 私は家に帰ることが出来ましたが、今回は深刻な教訓を得ました。そして師父の「修煉の他の方面と過程の中でも、歓喜心が生じないように気をつけてください。この心は非常に魔に利用されやすいのです」(『転法輪』)という話を真に理解しました。修煉の中で偶然に見えることも、師父がいつも弟子を加護しておられるのです。師父の広大たる佛恩を言葉で言い表すことは出来ません。師父の話を聞いて、精進に精進をしていくしかありません。

  2001年冬、我々十数人の大法弟子が共同で十数メートルのビッグな横断幕を掲げようと考え、私はその幕を持っていくときめました。若い同修が多いので、皆早く自転車を漕いで前に進み、私だけは後ろについて行きました。人と出会って急に恐怖心が起きて、自然と避けようとしました。皆が曲がりましたが私は最後列についていけず皆と離れてしまいました。町の中を4回ほど回っても同修と会えず、慌てました。そして、私は師父のことを思い出して師父にお願いし、同修も同じく会うように師父にお願いしていました。我々が出会った時には皆が師父の按排を感謝しました。師父の加護の下で、たくさんの種類の旗を掛けることが出来て、その上順調に帰ることが出来ました。この空間では私たちがしているように見えても、実際すべてに師父が心血を注いでおられるのです。

 十数年来、たくさんの体得があり、大法の素晴らしさをたくさん感じました。そして、正法時期における大法弟子の責任、師父の期待、衆生の待望をもしみじみと感じていました。縁のある人は真相を待っているので、いつも真相を伝える時に微笑みで大法弟子に感謝しています。正法の最後の時期にあたり、私はさらなる努力を通じて三つのことをしっかりし、油断せず止まらず修煉の道を歩み、更に衆生を済度します。慈悲で偉大な師父に合掌します。

  2009年4月28日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/4/5/198394.html