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河北省:陳秀梅さんは労働教養所で迫害停止を訴え、断食を行う

(明慧日本)河北省保定の法輪功修煉者・陳秀梅さんは、2009年1月8日、保定市竟秀派出所に連行され、保定市拘留所に留置された。1月15日、石家庄女子労働教養所に送致され、不法な労働教養を科された。陳さんは拷問により迫害され、3月中旬から断食して迫害に抗議している。この件に関して事情を知っている同修及び正義ある方に、情報の提供をお願いしたい。

  2009年1月23日(旧暦師走28日)、陳さんの夫が服と食品を持って労働教養所へ面会に行ったが、残念ながら面会を拒否された。しかし、夫が2週間前に多方面に確認した結果では面会は可能だと言われた。そこで教養所を2回も訪ねたが、当直者に「転向しない限り会わせない」と断られ、責任者にも会わせてもらえなかった。

 陳秀梅さん(女性)は、1957年8月20日生まれで、元保定綿糸紡績工場の従業員であった。下記は陳さんが労働教養所で受けた迫害の記録である。

  陳さんは石家庄女子労働教養所に移されてから、囚人服を着るのを拒み、第一中隊長・劉子維はスタンガンで電撃した。陳さんは夜、煉功したため再び劉子維に乳房、陰部、臀部などを電撃された。体には紫色に変色したあざがあちこちに出来、悪辣な警官は毎日のように迫害し続けた。迫害に加担したのは、第一中隊長・劉子維、凶悪犯の受刑者・朱麗英(石家庄市出身)、李圓圓(無極県出身)、呉海霞、劉娟(この2人は邯鄲出身)、劉宋珍(里県出身)などである。特に李圓圓は陳さんを見かげると迫害を加え、熱湯をかけたりした。このため李圓圓は労働教養を解かれたのである。

  陳さんは彼らの迫害の的となり、気に入らないことがあれば、八つ当たりされ、隊長の劉子維は横でそれを嬉しそうに見ていた。陳さんがベッドで座禅していたところ、劉に見つかり、劉は髪をつかんでベッドから引きずり下ろそうとしたが、陳さんはしっかりとベッドにつかまり、降りようとしなかったので、つかまれていた髪が一束分ほど抜け落ちた。劉は陳さんを連れ出し更なる暴行を加えた。

  劉は陳さんの服を破り捨て、強制的に囚人服を着させようとした。悪辣な警官・劉子維は20歳代の未婚の若い女性である。それでも、このような残酷無非な手段を用いて人を迫害できるとは、誰が想像できるだろう?

 規定によればトイレへは皆が一緒に行かなければならない。ある時、陳さんがトイレへ行かないと言ったところ、受刑者・李圓圓に髪をつかまれて室外へ引っぱり出され、顔面に平手打ちを食わされ、足で蹴られた。また、受刑者・劉宋珍に髪をつかまれ、壁に幾度も頭をぶつけられた。(その後、劉宋珍は数日間激しい頭痛が続いた。しかし、悟ることはなかった)。

  またある時、食事の後に陳さんがトイレへ行ったため、教育担当の蒋玉敏はトイレに飛び込み、陳さんに暴力を振るった。

  凶悪犯の劉娟が監視役として使われ、陳さんが文化室にいたところ、劉娟が自分の靴で、陳さんの足を靴が壊れるまで叩いた。陳さんの両足はパンパンに腫れあがり、自立歩行が出来なくなった。

 陳さんはよく教養所の文化室に拘禁された。小さくて暗い101号室に閉じ込められ、迫害を受けた。どのような手段を使って迫害したのか、今のところ不明である。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照) 

  2009年4月29日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/4/17/199125.html