日本明慧
■印刷版   

真善忍を修煉し、世界各地で称えられる(二)(写真)

(明慧日本)

 (二)物理オリンピック大会で金メダルを獲得した呉峙磐さん

 2004年7月、第35回国際物理オリンピック大会が韓国で行われた。73カ国の332人の選手の中で、台湾の選手である高校生の呉峙磐さんは31人いる金メダリストの1人である。彼は台湾から参加した5人の選手の中で唯一人の金メダルの獲得者になった。

第35回物理オリンピック大会で金メダルを獲得した呉峙磐さん

呉峙磐さん(左一)は第35回物理オリンピック大会で金メダルを獲得した

 台南第一高校で勉学していた呉峙磐さんは、囲碁、サッカー、バスケットボール、数学と物理などの世界を楽しむ活発で楽観的な青年だった。小さい時からさまざまな競技の中で経験を積むと同時に、成功と失敗の中で名利心を捨て、損得を薄く見ることを学び、心の中には人に知られざる悩みがあった。

  真善忍の法理で 子供の生活を導く

 呉峙磐さんの母の黄惠燕さんは高校の教師で、同僚の紹介で『轉法輪』と5式の功法に出会ったことにより、人生に重大な転機をもたらした。心理補導専攻の彼女は、子供と自分の内面を分かち合い、周囲の人・事・物を見るようになった。黄惠燕さんは、「真・善・忍」を修煉することは簡単だと思っていた。しかし意外にも修煉して見ると、それは大きくて奥深く、極めて超常的であることを発見した。そのことにより、やっと『轉法輪』の中でいわれている「万事内に向けて、自分の不足を探し当てる」という法理を体得した。法輪大法の法理を子供たちの生活の中に取り入れることによって、呉峙磐さんの人生に対する態度におおきな影響をもたらした。

 黄惠燕さんは従来外在的な成績を重視しておらず、子供の自覚的な学習こそ真の意味での学習だと思っている。したがって、小さい時から学友たちがすべて成績を金銭やプレゼントに替えていた時代背景の中で、呉さんは母の理解を得て、試験がうまくいかない時も、改善するよう激励を得ることができた。黄惠燕さんは、すべての種子には唯一無二の成長の過程があり、過度の干渉と心配がすべて子供に対する無形の圧力になると深く信じていた。

  入学試験のための父と子の口論は絶えず

 呉峙磐さんは進学にさいして、年初の学力テストで、彼は数えきれない試験の成績から良い学校に入る自信を持つようになった。ところが、第一志望の台湾大学の物理学部を僅差ですれすれに通ることになり、1枚の賞状さえ教授のそばに届けることができなかった。この時、彼はようやく「人の言うことは勘定に入れず、すべては天意にあり」との法理を体得したと話した。

 これで、選択は2つに絞られ、その中の一つに決めなければならなかった。一つは3週間を期限とする国家選手の採用訓練および一連の国際試合により、推薦入学の機会を得ることに努力すること。もう一つは、心を静めて、国文、英文、生物について、7月の指定科目テストに挑戦することだった。呉峙磐さんは前者を選択した。

 切々と子を思いやる呉峙磐さんの父は息子の選択に賛成せず、彼が指定科目のテストを受けることを希望した。息子に国際競技に参加することを放棄させるため、親子は毎日のように絶えず口論になった。「私の言うことを聞き入れれば間違いなく、この道しかない」と対立は激烈になり、収拾がつかなくなった。黄惠燕さんは息子が我慢できなくなって家出をすることを恐れた。娘はそばで「これは成長に必須な過程です。落ち着いて下さい。これはお兄ちゃんが直面しなければならない課題です」と言って慰めた。黄惠燕さんは「子供は必要なときに出て来て、私の同修になり私を正しました」と言った。

 ある時、親子のより大きな論争の後で、黄惠燕さんは息子が泣きじゃくっているのを見た時、彼女は静かにそばにただ付き添うだけだった。しばらくして、小さい声で呉峙磐さんに「道は人が歩き出すもので、『忍』のことをしっかりと覚えておきなさい」と言った。その時、呉峙磐さんは口を一文字に結び、目つきは更に不動なものになった。母はひと安心だった。黄惠燕さんは息子への手紙の中で「私と荘先生はみなあなたが深い潜在力を備えた1粒の種子だと信じています。私たちは決してあなたに特別な結果を得ることを予想せず、あなたができるだけその過程を存分に楽しむことを望んでいます。これが本当の収穫だと思います。私たちもあなたの最終の選択を尊重します」と言った。

  台湾大学の物理学部の推薦入学で父を説得

 このようにして、呉峙磐さんは断固として15キロの書物を背負い、大きなトランクを引っ張って台北に向い、引き続き彼がすでに80%も完成した国家選手の育成訓練に参加することを選択した。3週間の不眠不休の中で、熱が出て、鼻がつまり、咽喉の痛みをすべて1人で耐えた。診察を受けず、教授にも教えなかった。彼は「忍は、嫌々ながら我慢することではありません。2日でもう大丈夫になりました」と言った。ちょうど国家選手に入選した8人の中の8位に入ったことを知った時、脳裏に浮かんだのは『轉法輪』の中の「求めることなく、己を獲得する」法理だった。それから、呉峙磐さんはベトナムでアジアの銀メダルを獲得して、順調に台湾大学・物理学部の推薦入学を受けることになった。これには父も予想外であった。

 それからの2カ月、 呉峙磐さんは更に厳しい訓練に直面した。しかし、彼にはすでに直面する余裕ができていた。韓国の競技に参加しに行く前夜、黄惠燕さんは呉峙磐さんのオーバーのポケットに1枚のメモを詰め込んだ。「息子へ、生命の道中は一心に歩むことで、強要は禁物です。辛酸苦楽はすべて一種の体験で、成功と失敗もすべて偶然ではありません。どのように正して、どのように対処するかはあなた次第で、捨てた後の豁然とした自在こそ1人の智者の気概です」とあった。

 2週間後、息子が国際金メダルの栄光を獲得したニュースを知った母は「我が子よ! 今がどんなに光り輝いていても、そのうちすべてが過去のものになります。情熱は一時的なもので、穏やかで和やかな心こそ恒久の喜びです」と1通のメールを届けた。

  「国際物理オリンピック大会」について

 国際物理オリンピック大会は1967年に発起され、青年学生の物理に対する認識と国際交流の推進を目的としたものである。毎年競技に参加する国が順番に主催して、国を代表するチームを構成し、国毎に5人の参加選手が上限になっている。国の代表としてこの国際大会に参加できるのは、すべて何度もの厳しい試練を通過しなければならない。幾重にも鍛えてようやく誕生したものだ。台湾は毎年11月に、全国の予選を催して、4、5千人の参加者の中から300人を選んで2次予選を行い、30人の選手を選出することになる。それから翌年の3、4月に育成訓練とテストにより、8人の全国の精華を選び出してアジア大会に参加させる。またアジア大会からは5人の選手を選出して、7月に国の代表として国際物理オリンピックの競技に参加させ、世界青年学生の最高栄誉を獲得するために努力するのである。

 (続く)

  2009年4月30日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/6/198472.html