■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/05/10/mh110929.html 



観念を放下して、正念を持つ

文/吉林大法弟子

(明慧日本)私は1998年に大法の修煉を始めてから、どんなに忙しくても煉功を堅持してきました。冬は朝3時50分に起きて煉功し、春、夏、秋の農業が忙しい時期には朝2時に起きて煉功していました。仕事でいくら疲れを感じても煉功を続けました。なぜなら、師父が、煉功は一番の良い安らぎの手段であると仰ったからです。私は、煉功して体が軽くなったと感じました。 

  私は、朝の煉功で多くの執着心を取り除くことができました。例えば、以前、寒いことを恐れる心、面倒なことを恐れる心、早起きを嫌がる心、寝ることを好む心などなど、私はこれらの良くない心をすべて取り除くことができました。それに、煉功によって心身ともに健康になり、健康面でお金がかかったことがなく、病気がないので子供たちに迷惑をかけたこともありません。

  50歳過ぎで健康な私は、同じ歳の方に比べると、若く見えるとよく言われます。他人から「どうしてそんなに若々しいのですか」と聞かれたとき、私は「法輪大法を修煉しているからです」と答えています。大法弟子が健康な体であることも、大法を実証することだと思います。

  2008年2月、私はあるスーパー銭湯へアルバイトに行きました。その場にも私が救う衆生がいると思って、行きました。到着後、私がすぐしたことは、正念を発して、その周りの空間をきれいにすることでした。そして大法弟子の歌を歌い、大法の音楽を流しました。そこでの学法、煉功、正念を発することなどを休みなく続けました。私がそこで4カ月間仕事をした間、そのスーパー銭湯はとても人気があり、従業員の給料の支払いも保証できました。それは大法が不正なこと全てを正すことができたからだと思います。そこの従業員たちはお互いに良い関係を持ち、数人が中国共産党の組織を脱退しました。何人かが大法を得て、修煉を始めました。

  5月のある日、家の庭にある3本の果物の木に虫がいっぱい湧きました。同修が殺虫剤を使うように勧めてくれて、殺虫剤とそれを撒く器具を持ってきてくれました。私は「私たちは修煉者だから、殺生することはできないし、殺虫剤も使えませんよ」と言いました。同修は「もし、殺虫剤を使わなければ、きっと、木が虫に食べられて死んでしまうので使った方がいいです。木も生きている生命でしょう」と話してくれました。私は解決方法を考えながら、果物の木の前に立ち「私は大法弟子です。あなたたち(虫)はこの木と何の因縁関係があるかわかりませんが、あなたたちは『法輪大法は素晴らしい』とよく覚えて逝ってしまってください。ここは、あなたたちの居場所ではありません。もし、大法を得たいならば、師がおっしゃたように人間の身体を持たないと大法を得られません。もし、まだこの木から離れなければ、殺虫剤を使うからね」と私は虫と交渉しました。話をした後、私は仕事に行きました。翌日の朝、木を見たら、虫が全部いなくなっていました。1匹もいなかったのです。このことから、私は「小さくても生命があり、大法弟子は師父のおっしゃった通りに従えば、大法の力で一切の衆生を救い済度することができる」と感心しました。

  私が使っている携帯電話は、電話を受け、かける機能しかありません。普段は、時計代わりに使っています。夜は、アラームを設定して目覚ましにも使え、1年以上使っていました。2007年12月のある日、大法の真相資料を配り、家に帰った後、携帯のディスプレイに、「真・善・忍」の三文字がきらきら光って現れました。その出来事以来、私が、正念を発するとき、煉功するとき、法会に参加するとき、この携帯の電源は自動的に切れるようになりました。

  真に修煉をしている人は偶然に遭遇することがなく、出遭ったことに対しては自分が修めるべきだと思います。2008年7月のある日の夜、集団学法してから、家に帰る途中、自転車に乗っていた私は、大きな岩にぶつかり、車輪が取れてしまい、突き飛ばされました。私は手に傷を負い、歯も3本折れてしまいました。そのとき、「師父、私は何か間違えていますか?ご指摘ください。弟子は絶対直します」と私は師父にお願いしました。そこで私は自転車を担ぎあげ、自分の内に向けて修めるべきところを探り始めました。私は、旧勢力の迫害を承認したことがあることを探り出し、直ちに否定しました。旧勢力のことを否定し、突き飛ばされたのは私であることさえも否定しました。なぜならば、私は神であり、神は突き飛ばされるはずはないと認識したからです。

  同修は、旧勢力に隙に乗じられたと言っていますが、私は旧勢力の存在さえ承認しないと考えています。翌日、私は仕事へ行かず、どの執着心で今回のトラブルを招いたかを探りました。翌々日、仕事へ行きました。私は服のサイズ直しと水洗いのクリーニング店を経営しています。手の傷から血が出ていて、水洗いができないので、他のできる仕事をやりました。しかし、胸が痛くて重いものが持てませんでした。学法したとき、自分が痛みとその存在を承認したことを悟り「私は神で、大法弟子です。飛ばされたのは私ではありません」と全面的に否定しました。そこで、私はすぐに水を使って洗濯し、午後2時から夜9時まで店の一番忙しい場所で仕事をしました。なんのこともなく無事でした。このことから、私は人の念か神の念かの一念の差の違いで、違う結果をもたらすのだと感銘を受けました。

  私はいつも店で大法の歌を流しています。現在、うちの店の商売はますます良くなっています。

  ここまでにします。不適切なところは、法に基づき、慈悲にご指摘下さるようお願い申し上げます。

  2009年5月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/5/5/200238.html

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