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神韻のチケット販売の過程で、大法に同化し、衆生を救い済度する(一)


文/カナダの大法弟子

(明慧日本)

 尊敬する師父、こんにちは。
 同修のみなさん、こんにちは。

 神韻はオタワですでに3年上演されました。その規模は2007年の1回公演、2200枚、2008年の2回公演、4400枚、2009年の4回公演、8800枚に至りました。劇場の一つ一つの席はみな大法に済度され、救われる衆生を意味しています。ここ数年間、オタワの修煉者はみな神韻のチケットの販売をすることを衆生を救い、済度する重要な形式としてやってきました。

 師父は『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』で、「神韻の毎回の公演に多くの人は最初から最後までずっと泣いており、さらに多くの人はひっきりなしに目を拭いています。毎回の公演はみな、こういう状況です。人々は衝撃を受けています。この空間では子供たちが出演していますが、他の空間では多くの私の法身と神が皆行なっています。(拍手) 震撼力と人の変化は当時私が法を伝えたときと似ています。(拍手) ですから、人を大きく変えました」と説かれました。ですから、オタワは神韻公演のひとつの都市として、更に多くの衆生に公演を鑑賞してもらい、大法の慈悲なる救い、済度を受けてもらうことも、私たち大法弟子が大法を実証し、衆生を救い、済度する責任です。

 毎年の8月末〜9月初めはちょうど学校が始まる季節であり、休みが終わった人々も正常な、忙しい日常生活に戻ります。いろんなスパーマーケット、商店、マーケットが突然にぎやかになります。チケット販売の策略の一つとして、オタワでは2008年の9月5日に民衆向けのチケット販売を始めました。

 オタワにいる更に多くの人々に神韻を知らせるために、9月初めから、現地の修煉者はいろんなマスコミを利用して、宣伝に力をいれ、マスコミの宣伝に協力して、ほとんどの修煉者がマーケット、商店、政府部門、および人の流れの集中しているところに行き、オタワの東、西、南、北、すべてのところをカバーして、チケットを販売しました。こうして、マスコミから、神韻公演の情報を得た人々は、各チケット販売店で、私たち修煉者がチケットを販売している姿をみて、再び神韻の情報を受け取りました。さらに現地の修煉者が身にまとうあでやかな衣装と詳しい説明は、オタワの民衆に深い印象を残しました。また、過去2年間、神韻のオタワでの宣伝、および全世界範囲での影響は、一部の人に私たちともっと早く会えば良かったと感じさせました。こうして、10月12日までの1カ月と1週間の間に、私たち修煉者と劇場で合わせて1754枚のチケットを販売できました。

 一、チケット販売の過程で人心と観念を取り除く

 チケット販売が始まった後、みな全力を尽くして、自分のシフトを守り、いかに衆生を劇場まで案内するかを絶えず考えました。一部の同修は勉強のスケジュールを後回しにして、一部の同修も仕事を後にし、また、一部の同修は仕事を手放し、いつ電話が掛ってもすぐに行かれるようにしており、一部の同修は家庭と大法の仕事、常人の仕事がとても忙しい状況下で、また神韻のチケット販売に参加し、衆生を救い済度しました。私はまた、今週のチケット販売にどうして自分を参加させないのか、という問い合わせの電話も受け取りました。私はすぐその同修をその週のチケット販売に誘いました。

 チケット販売の過程で、私たちはチケットが売れる、売れないなどの状況を経験し、みな共に交流して、人心を取り除き、師父を信じ、大法を信じ、観念を変え、神韻の真相をはっきり説明し、マーケットでずっと立ち続けるという苦もなめました。

 チケット販売を始めて2週間後、私は一部の同修は多くのチケットの販売し、また一部の同修は同じように1日苦労して立っていても、チケットの販売枚数が少ないことに気づきました。過去の経験からみてもそうでした。しかし、そのときはチケットの枚数が少なく、チケット販売がうまくいかない同修、或いはチケット販売が難しいと思う同修はチケット販売に按配しませんでした。その時、私はそれぞれチケット販売能力が異なることに気づき、その差異はどこにあるか、考えてみました。

 私に見えたのは、みな努力する心は同じですが、それぞれ自分の異なる観念を持っていて、それによってやり方が違い、その結果も異なっていることでした。そこで、私たちは早速同修らにトレーニングを行いました。同修らが互いの交流を通じて、法理上で向上し、テックニックを互いに学べるようにさせるためでした。

 私は偶然に撮ったある同修のチケット販売の過程をプロジェクターで皆にデモンストレーションしました。皆が笑う中で、この同修のチケット販売過程での正念とお客様のために提供した完璧なサービスのテックニックを見ることができました。そして皆が心を開いて、自分のチケット販売の時の心理状態について交流しました。たとえば、ある同修は、チェーン店を訪ねる人があまりも多いことに気づき、チケット販売者のために製作した写真集を使って、絶えず神韻の内容、その芸術的成果と世界的な規模、オタワでの過去数年間の公演の盛況、有名人からの評価などなどについて彼女が説明できるすべての内容をお客様に紹介し、また熱心にお客様のために彼らが満足できる座席を選んであげました。

 こうして多くの人がその場でチケットを買ってくれました。また多くの人はすぐチケットを買わなくても、神韻の真相とチケットの優遇情報を手に入れたので、その家族、友人と相談し、考えてから、再び戻ってきてチケットを買うかもしれません。チャンスを掴んで絶えず真相を伝えるとともに、これらの修煉者は、大法の力を持って、常にチェーン店で朝から晩まで、絶えず衆生に神韻が上演される劇場に入れるように案内していました。

 交流の中で、一部の同修ははっと分かりました。なるほど自分は過去に資料を配る時の方法を使って、衆生は家に帰ってからチラシを読み、それからチケットを買いに来るようにさせようとしたことが分かりました。交流を通じて、その同修(女性)は、チラシを貰うようにさせるのが目的ではなく、その場で私たちが神韻の真相をはっきり説明して、衆生がチケットを買うことができれば、それは実際に衆生が劇場に入りやすい階段を更に作ってあげたことになると分かりました。師父は私たちが法を得る難しさに対してかつてこう説法されました。「多くの機縁が寄せ集められて始めて、この法を得ることができます。なかなか容易なことではありません」(『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」)私たちがマーケットでこれらの衆生に出会い、神韻を紹介するのは、これも機縁によることなので、私たちは絶対このチャンスを見逃してはいけません。衆生は自宅に戻った後、少し邪魔が入ったら、このチャンスをつかめなくなるかもしれません。

 もう1人の同修は、当時彼女はさきほど述べた同修と交代で廊下に立ち、通りすがりのすべての人に、チラシを渡し、神韻を宣伝するものとして自分を扱い、自分がチケット販売員であり、衆生が救い済度される機縁を掴むことができるように保障するものだと思いませんでした。

 交流を通じて、同修らは、マーケットでチケットを販売するとき、宣伝の角度から販売する行動へ移るべきであると認識できました。もちろん、私たちは毎回チケットが売れるようにとは求めません。しかし観念が変わると、チケット販売の過程にはとても大きな変化がおき、衆生は更に多くの情報を持って立ち去るようになりました。その後、私は同修らのチケット販売の時の状態に明らかな変化がおきたことを観察できました。

 ある同修は、最初英語が流暢ではなかったため、主に資料配りをしました。彼女がチケットを販売すべきであり、宣伝するだけではないと意識した時、初めて神韻を説明する簡単な原稿を準備してほしいと依頼してきました。彼女はそれを暗記し、絶えず直したり、付け加えたりしました。毎回チケットを販売するとき、彼女は非常に慈悲の心を持って、お客様のためにサービスを提供し、神韻の完璧と貴重さ、チケット価格の優遇、席のメリットなどなどを説明し、彼らが満足できるチケットを買えるように手伝いました。時間が経つにつれて、私は彼女の英語が普段はそれほど上手でなくても、チケット販売の時は非常に流暢になり、笑顔で慈悲を保ち、自在に応答でき、とても多くの顧客が彼女の説明を聞きたがることに気づきました。彼女は自分ひとりでチケット販売のすべてのことを処理できるようになりました。私は大法の超常を感じ、この同修は実に功能を利用してチケットを販売していると感じ取りました。

 (続く)

 (2009年カナタ法会での発表原稿)

  2009年5月23日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/5/20/201312.html