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刑務所内で法輪功に出会った趙乃乾さんは、散々迫害された

(明慧日本)趙乃乾さん(47歳男性)は、四川省成都市の出身で、元旭光電気会社の従業員だった。1995年6月、同会社の同僚と共に社内の高額な設備(2万元相当、損失はすべて返済した)を盗んだため、無期懲役を言い渡された。趙さんは判決を下された後、心理的なバランスを崩し、何度も自殺しようと考えた。趙さんと同じ日に判決を下されたある殺人犯は、愛情の縺れからライバルを殺害したが、12年だけの判決を言い渡された! それに対して不服に思った趙さんは、刑務所に入れられた後、強い復讐心が生じ、いつか脱獄して自分に冤罪を蒙らせたすべての関係者を殺そうと企んだ。

 1997年10月、趙さんは刑務所内で法輪功に出会い、修煉し始めた。そして、趙さんは心身共に大きく変わった。「もしもっと早く李先生の大法に出会っていたなら、このような事件を起こすはずはなかったのにと思った。それでも、やはり僕は幸運だ・・なぜなら、結局、僕は大法を得たのだから・・僕は絶対、しっかりと修煉を続け、『真・善・忍』に従ってより良い人間になる」と趙さんは決心した。刑務所の警官や受刑者達はみんな趙さんの変わりようを実感し、しかもとても趙さんに敬服した。

 しかし、1999年「7.20」、法輪功は共産党に弾圧され始めた。しかしその後も、趙さんは修煉を放棄しなかったため、散々迫害を受けた。趙さんは南充刑務所で3カ月間禁足され、死人ベッドに縛られ、食事は少しだけしか与えられなかった。20日以上毎に1回の排便が許可された。天安門焼身自殺事件が起きた後、趙さんは刑務所で事件の真相を説明したため、散々殴られ、また数十日間禁足された。2001年、趙さんは徳陽刑務所に移送され、他の不法に連行された法輪功修煉者達と共に拘禁された。ずっと「厳管隊」(幅1メートル、長さ2メートル、5高さメートルの小屋)に入れられて、いつも殴られ、不明な薬物を注射された。その後長い間、頭がぼんやりとし、腹部には激しい痛みが走った。2002年に、趙さんはまた蓬安刑務所に移送された。そこで、趙さんは血液検査を拒否したため、警官5人に地面に押さえつけられて、強制的に血液を採られた。その後、再び70日間禁足された。さらに2005年には、雅安刑務所に移送され、ずっと「厳管隊」に入れられ、家族との面会も禁止された。その後、名山の公安刑務所の農場に移送された。現在、趙さんは散々な迫害を受けており、毎日ごく僅かなご飯しかを与えられないという。 数年来、刑務所側は家族との面会を禁止している。 

  2009年5月25日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/23/201440.html