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必ず師父が按排された道を歩んでいく

(明慧日本)私は、いろいろな地方を転々としてきましたが、昨年末にこれまでずっと仕事をしていたこの大都市に再び戻って来ました。この町に戻ってからまず、新年から年明けの時間を利用して法をたくさん学び、早く追いつこうと思いました。そして、短期間で師父のすべての説法と経文を読み終えました。この間、私の頭の中は法でいっぱいでした。その後の師父の説法も含めて、ずっと記憶の中に深くのこっていました。私はまるで新しく生まれ変わったような感じでした。

 法をたくさん学ぶと同時に、私は、なぜこれまで自分が安定した環境と離れるようになったのかについて原因を探りました。年明け、私はインターネットでたくさんの履歴書を出しました。インターネット上では、「100枚の履歴書を出しても、一度も面接のチャンスは与えられない可能性が高い。面接するチャンスがあったとしても、中には保険関係か、ひいてはマルチ商法のような悪質な仕事にあたることもある」と言われていました。確かに、今回の金融危機により、普通の給料で生活している人には大きな打撃があります。昨年末にこの町に戻ってきたときには、すでにそれがはっきりと感じられました。

 しかし、私は「これらのことは、修煉者に影響を与えることはない」と法理から分かっています。当時私は、二日間で19社に履歴書を送りました。その後、学法を続けました。数日後、三つの会社からの面接通知が届きました。ある会社の二次面接で採用されました。現在、私はその会社で働いています。また、順調に新居を借りることができました。まるで、この町から離れたことがないように、安定した生活を送れるようになりました。

 その2回目の面接の後、面白いアクシデントがありました。当時、私を面接してくれた人は、会社の責任者と技術担当者でした。面接で私の仕事能力が評価され、給料についても相談して決まり、すべて順調でした。そして私は、申請書という形式的な書類を提出するだけで良く、後は結果を待つだけでした。私は携帯番号を伝えたので、一週間以内に電話で結果を知らせると言われました。六日間過ぎても、電話は来ませんでした。自分から電話をしてみると、面接の責任者は曖昧な態度でした。責任者は「ご要望の給料は、我が社にとって少し高めであったため、人事担当の方には通りませんでした」と私に言いました。また、その責任者は私との面接で非常に満足していたそうです。「このような結果になったのは、私の意思ではなく、上司の考えです。あなたの面接を終えた後、また数人と面接をしましたが、あなたより低い給料を要望した人達が採用されました」と話してくれました。

 私は電話でその責任者に「そうでしたか、私は御社の人事のご担当者様のお考え方は非常に理解できます。私も1年前は会社の経営者だったのです。私は、仕事の経験はあるのですが、やはり新しい会社で仕事をするとなると、いろいろなことを最初から学ばなければなりません。社員として、会社のために働き、会社に貢献することを優先に考え、それから、その報酬をもらってやっと安心できます。私は、後に面接した人と同じ給料でもいいと思いますが、いかがでしょうか。よろしければもう一度、人事のご担当者様にご相談いただけませんか、よろしくお願いします」と話しました。翌日、その会社から、採用の電話と通知書をもらいました。

 実際、その責任者に電話したとき、「これは私の執着心で、いわゆる嫉妬心という汚い執着心を取り除かないといけないということだ。私が乗り越えないといけない一つの関だ」と私はよく分かっていました。以前、私がこの町から離れたのは経営者になりたいという執着心によるものでした。

 私は、前の会社で働いていたとき、新設された部門で働いてました。私は、会社の最も古い技術者の一人として、いつも同僚と一緒に仕事のため残業していました。しかし、年末になって、一緒に仕事をしている同僚たちは会社から表彰や奨励金をもらったのに、私はもらえませんでした。当時、私は本当に失望しました。なぜ自分は同僚と同じように、会社のために、自分の休みを犠牲にしたのに、表彰されなかったのかと思いました。そのまま私はこの執着心を取り除くことを重視せず、徐々にその執着心が旧勢力によって膨らみました。その結果、元々の安定していた仕事および修煉する環境から離れてしまいました。

 今回の就職活動と部屋探しがなぜ順調にできたのか振り返って見ると、それは、偉大なる師父は再び私を、迷いの中から救い出してくださったからです。今回のことを通じて、私は「円満成就するなら、必ず師父が按排された道を歩むしかない。これらのことは全て師父の慈悲になる按配だ」という法理が分かるようになりました。同時に、「この歴史的に大事な時期に精進しないと、知らないうちに旧勢力によって執着心が膨らんでしまい、師父が按排された道ではなく、旧勢力が按排した道を歩んでしまうことになる。そして、大法から離れ、さまざまな危険な状態に陥ってしまうことになる」と悟りました。

 今回この町に戻ってくるまで、私は修煉状態が悪く、「三つのこと」を積極的にしなくなりました。毎日、忙しくて疲れて嫌なことばかりでした。大法から遠く離れ、大法弟子としての行動ではなくなり、常人のようでした。旧勢力は常人に対して迫害をすることができるのです。このように、私に災いがふりかかってきました。私は、建築現場で物を拾おうとしていたとき、建築中の建物から大きな木材が滑り落ちてきて、私の頭に落ちました。私は打ち倒され、あまりの痛みに涙が流れ出ました。その場には多くの人がいて、必ず病院に行くようにと言っていました。また、以前同じような事故に遭った人は、脳出血で死亡したと言われました。そして、私の頭に大きな頭出腫ができました。しかし、私はみんなの言うことを聞かず、病院に行きませんでした。そして、数日後には頭出腫が自然になくなり、良くなりました。

 年明けに集中して学法したことによって、私は「旧勢力は常に、修煉者の隙に乗じてくるものだ。漏れがある大法弟子の道を妨害し、大法弟子の命さえ奪うことも惜しまない」と悟りました。師父は何度も、私が精進しないために、私の肩代わりをしてくださっているのです。私は学法を通して修煉状況が良くなりました。また、師父が私の夢の中で、私を励ましてくださいました。これらのことを考えれば考えるほど、涙があふれてきました。

 この修煉体験談を通して、私の痛ましい教訓から次のことを同修に伝えたいのです。私たち大法弟子は、着実に師父が按排された道を歩んでいって、初めて円満成就できます。それ以外の道はすべて危険で、決して私たちが歩べき道ではありません。

 今日の法輪大法デーに際して、私は偉大なる師父にご挨拶申し上げます。師父、本当にありがとうございます。師父は偉大なる慈悲により、修煉の道を見失った弟子である私を見捨てず、救っていただいたことを心から感謝いたします。大法弟子の私が唯一できることは、これからますます精進してゆくことです。師父に感謝申し上げます。

 2009年5月25日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/16/200777.html