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許家メイさんの救援を呼びかける

(明慧日本)許家メイさんは、幼児教育の専門家であり、かつて国民政府(1949年前の国民党政府)湖北省の事務総長であった許瑩漣氏の長女である。しかし、70歳の彼女は再び刑務所に閉じ込められ、未だに拘禁されている。

 許瑩漣氏は湖北省建始県県長、湖北省政府事務総長、湖北省議員を歴任しており、国難を救うために身を投じた。1949年、許氏の愛国心が共産党に利用され、武漢(湖北省政府所在地)は平和的に解放された。しかし、共産党は政権を取得した後、すぐに許氏を沙洋刑務所に入れた。娘の家メイさんは幼い時から家訓を継承して忠義で世に対処し、遠方の北京へ陳情に行き、父の冤罪を雪いだ。ところが、家メイさんは20代の時、「右派」とみなされて打倒され、20年ぐらいレッテルを貼られていた。レッテルを剥がされた時、当時の殆どの人は政府に感激したり、媚びへつらったりしたが、家メイさんは毅然として生きた。1980年代の初めに、台湾の蒋介石夫人・宋美齢氏を中国大陸に帰そうと説得するために、中共統一戦線部(海外の著名中国人を買収する専門機構)は家メイさんと母親に手紙を書かせようとしたが、拒否された。

 1980年代の初めに、家メイさんは2人の著名教授の推薦によって、湖北省幼児師範学校に転職し、真面目に働いたため、武漢市武昌区の「政治協商会議の優秀委員」に選ばれた。

 家メイさんは人生の試練の中で、いつも人生の真の意義を探求していた。定年退職後、彼女は深い佛縁で高徳な法輪大法に出会い、喜んで「真・善・忍」という宇宙の法理に同化し、大法の中で新しい人生を歩み、多くの人々に積極的に大法を伝えた。

 1999年「7・20」に、迫害は全面的に始まった。家メイさんは大法の真相を説明するために、湖北省政府や北京陳情事務所に行ったが、帰った後、学校側に連行され、洗脳班に送られた。中共悪党の虚言に騙されないように、家メイさんは多くの法輪功修煉者と共に個人の安全をさて置き、個人で資金を出して、資料を印刷し、人々に真相を説明し、衆生を救い済度した。家メイさんのこのような大きな忍と善の行為は共産悪党に憎まれ、結局、2001年に4年の判決を言い渡され、武漢女子刑務所に入れられ、迫害を遍歴した。

 2008年4月、北京五輪を名目にして、中国共産党は深センばかりなく法輪功修煉者を連行していた際に、家メイさんは再度連行され、6年の判決を言い渡された。現在、広東女子刑務所に拘禁されている。

 家メイさんは一生の苦難の末、やっと法輪大法に出会い、それから世の煩雑なことに纏わされず、慈悲心を持ち衆生を救い済度した。迫害されても、邪悪を恐れず、70歳を過ぎても、固い志は変わらない。私は家メイさんの物語を聞いた後、とても感動し、悪党の邪悪さを更に実感し、大法の恩をもっと深く心に刻んだ。それがゆえに、私は家メイさんのためにこの文章を書いたのである。

 2009年5月26日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/23/201439.html