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吉林省松原市:李顕徳さん一家が受けた迫害

(明慧日本)吉林小松原市前郭県鎮南村の李顕徳さんは、2008年4月23日に、車を運転して友人宅を訪ねて行く道中で、松原市の警官・馬洪哲、張英彪、李国慶らに連行され、警察暑に強制連行された。警官は強制的に李さんの身体を調べ、持っていた現金300元と自宅の鍵を奪った後、勝手に李さんの車で李さん宅に向かい、家宅捜査の許可もないまま、李さん宅に勝手に入り込み、自宅にあったパソコン1台(6900元相当)と、現金3000元あまりを持ち去った上に、李さんの妻を連行した。そして、李さんの車(4400元相当)を奪った。

  同日、紅旗農場に住んでいる李さんの母親と、姉の李桂侠さんが錫伯屯派出所に連行され、李桂侠さん宅にあった29インチのカラーテレビと、DVDプレイヤー、パソコン等を奪われた。義理の兄(法輪功修煉者)は難から逃れたが、未だに路頭に迷う生活を強いられている。家には子供1人が残され、世話してくれる人がだれもいない。警官は何度も自宅に来ては騒いだので、子供は警官を恐れて、家を飛び出し、未だに行方不明である。

  李さんの母親は15日間拘留され、李さんの姉は1年6カ月の労働教養を強いられ、李さん本人は1年の労働教養を受けさせられる予定だったが、病気のために黒嘴子労働教養所側から受け入れを拒否された。そのため、善友留置場に閉じ込められていたが、警官は家族から2万元を奪い取った後に釈放した。

  2008年7月11日の夜12時ごろ、錫伯屯派出所の警官は再び李さんの母親を連行し、県の留置場に6日間拘留した。

  同日、11時ごろ、烏藍派出所の3人の警官は、李さん宅で再び李さんの妻を連行し、県の留置場に6日間拘留した。家にいた高齢の父親は恐怖により、寝込んでしまい、2008年9月5日に死亡した。

  2万元を奪い取られて釈放された李さんは、2008年5月31日に再び連行され、吉林省九台労働教養所に送られた。2008年12月15日、警官・李雲波は受刑者を使い、李さんの身の回りを調べさせたところ、布団の中から2篇の経文が見つかったため、翌日から更なる迫害を加えた。朝の4時から夜の11時まで直立不動の姿勢で堅い板の上に座らされ、腰がちょっとでも曲がれば、監視の張雷に足で腰を強く蹴られ、李さんは呼吸困難に陥った。また、「5書」に署名しないため警官・趙峰山が、李さんを拷問部屋に連れて行き、口から血を吹き出すまで拷問した。

  2009年2月16日、大隊長・宇明珠が李さんを呼び出し「修煉をやめれば40日間の減刑をする」と言ったが、李さんは修煉を選んだため、その日は板の上に座らされた。

  2009年5月26日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/5/13/200802.html