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親孝行な息子夫婦は迫害を受け、父親の葬儀への参列も許されなかった

(明慧日本)大連市金州区中長村に住む潘さんの長男・潘明智さんと、嫁の袁玉春さんは、共に親孝行で名高い人である。しかし、父親の潘洪挙さんが亡くなり、一家は悲しみにくれながら葬儀の準備をしていたが、その中に、長男夫婦の姿はなかった。

 実は、嫁の袁玉春さんは法輪大法を修煉しており、人々に法輪功の真相を伝ええていた。1999年「7.20」に中国共産党が法輪功への迫害を開始して以来、袁玉春さんは何度も監禁され、釈放された後も常に現地の警官に嫌がらせを受け、尾行された。甚だしきに至っては、警官は、親族を尾行して袁玉春さんを捕まえようとした。そのため、袁さん一家3人は仕方なく家を出て、放浪生活を余儀なくされ、家族との連絡も途絶えた。

 袁玉春さんを支え続け、法輪大法を修煉する力はどこから?

 袁さんは産後の肥立ちが悪く、生活上のプレッシャーに耐えられなくなり、ついに1997年に倒れた。全身が痛風に罹り、心臓にまでも及んでいた。いろいろな治療方法を試してみても治らず、ベッドに横になったまま4カ月が経過したとき、法輪大法とめぐり合えた。不思議なことに袁さんは大法の本を読んだ当日、自分でベッドから降りて、家事と食事作りもできるようになったという。それから法輪大法を修煉することを堅持しつつ、ひどい迫害も受けた。

  1999年7月、袁さんは上京して陳情に行ったとき、不法に連行されて金州留置場に拘禁され、後に釈放された。

 法輪功の真相を人々に知ってもらうために、袁さんは真相のチラシを配布した。2000年11月、法輪功について誤解している人に告発され、再び金州留置場に拘禁された。袁さんは足枷、手錠をはめられ、夜寝る時もはずされなかったため、身体を丸めて我慢するしかなかった。迫害に抗議するため、袁さんは絶食したが、野蛮に塩水を灌食された。その留置場の所長は、塩水になった液体の中にわざと塩を数回入れ「のどが乾いても水をやらないぞ」と言いふらした。袁さんは危険な状態に陥ってから、1カ月半後にやっと釈放された。しかし、家に戻ってからも口や鼻の中から絶えず臭くて汚い膿を嘔吐し、1カ月後にやっと治まったという。

 2001年8月、袁さんはまた私服警官に連行された。知らない病院の中で、袁さんに信仰を放棄させるため、医者は針で袁さんのつぼを刺した。警官は袁さんが精神病だと誹謗し、病院の医者らに罵らせたこともあった。しかし、袁さんの件名な説明を通じて、医者たちは真相が分かり、その行為を止めた。

 袁さんは釈放されても、直接家に帰ることができず、警官は袁さんの家に行っては嫌がらせをはたらき、袁さんの両親を脅している所を目撃した人もいる。2001年2月、袁さんの娘と袁さんの姉は、2人で一緒に家に衣類を取りに行った際、村の主任・王艶華に告発され、2人は派出所まで連行された。警官は2人に対して別々に事情聴取して、袁さんの行方を尋問した。袁さんの娘はとても恐れて「二度と家に帰らない」と言った。 

 潘さんが病気の間、袁さん夫婦はずっと心配していた。潘さんが亡くなってから葬儀にも参加できず、袁玉春さんは涙を流し続けていたという。

 (注:法輪功修煉者を迫害する主な責任者らの情報は、中国語ページを参照)

  2009年5月28日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/24/201538.html