日本明慧
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神韻のチケット販売の過程で、大法に同化し、衆生を救い済度する(四)


文/カナダのオタワの大法弟子

(明慧日本)

 五、オタワの修煉者は協調して神韻のチケットを販売する中で、心性を向上させる

 1、幹部になる心を取り除く

 私はチケット管理と人員管理をすると同時に、設備の管理もしていました。毎回同修がチケット販売に出かけるとき、みな私のところでチケット販売に使うすべての設備と資料、例えば、衣装、テレビ、ポスターの板、神韻の説明の本、及び看板などを持って行くことになっていました。管理することが多くなるにつれて、最初は寛容で大らかで、皆のために、物を置いたところに標識ラベルを印刷して貼り、できる限り物をきれいに整理し、随時に足りない物を補充しました。少しずつ、私は一部の同修はチケット販売が終わって帰ると物をとてもきれいに置き、また一部の同修はわざと残って、きちんと置かれていない物をきれいに整理してから帰り、また一部の同修は物を好きなように置いてから、すぐ家に帰ることに気づきました。

 一部の同修は分類もせず、物を好きなように置いて帰るのを何度も目にしたとき、私には突然厳しく管理しないといけないという念が生じました。分類ラベルにすでにとてもはっきりと書いているのに、どうしてきれいに置けないのか、と考えていました。私は自分に「ひとつのルールを作って、管理しよう」と言い聞かせました。そして、私はパソコンで物品管理の規則を入力しました。心の中では「皆この規則にしたがってやらないといけない」と思っていました。そして、私はその規則を2部印刷して、壁に貼ろうとしました。私は1枚目を取り出そうとしましたが、私がちょっと振り返ったすきに、その紙がどうしても見つからなくなりました。そして、私が2枚目を取り出したとき、どうしたことか、鋭い紙の端で私は手に深い傷口を負いました。私は直ちに、自分のこのいわゆる厳しく管理しようとする心が間違っていると意識できました。私の頭の中には師父の経文「常人の幹部のようになっています。」(『各地での説法六』「アジア太平洋地区修煉者会議での説法」)が浮かび、私はすぐ自分に、幹部になってはいけないと言い聞かせました。

 実際、皆が一緒に法を実証する仕事には協調が必要です。管理が必要だとしても、また大きな忍の心、寛容の心を持つべきで、責任を負うということを基本として、また同修の異なるやり方に黙々と補わなければならず、またその補い自体はまさに自分の不足であり、向上させないといけないところです。しかし、同修の異なる現われには正しいか、正しくないかの区分がなく、自分のやり方と基準で同修を厳しく責めてはいけません。また、すべての同修がみな同じようにやることは不可能です。もしかして、その同修はチケットを販売して、衆生を救い済度するために、すでに非常に大きな困難を克服し、しかもチケット販売が終ったら必ず急いで家に帰らないといけないかもしれません。一つの全体としてよくできた場合は、全体において、みな心性を向上させたからこそ成し遂げたことであり、厳しい規則を実施して得られるものではありません。

 2、苦を嘗めると同時に心性を向上させる

 私はあまり苦を嘗めない人です。過去の数年間、法を実証するプロジェクトの中で、わりに大きな試練に直面した時、私は耐えられなくなっていました。過去2年間、神韻の仕事をする中、私はいつも主にチケット管理、同修の協調、チケット人員の按配、同時に直接チケット販売に参加しました。しかし、過去のチケット枚数は多くなかったたため、難しいと感じませんでした。今年のチケット枚数は昨年の倍になっていて、毎日会社に出勤する以外、また神韻以外のほかの法を実証するプロジェクトにも参加しなければならず、またチケット販売状況の更新、チケットの振り分け、人員管理、およびその他の些細なことをやらなければなりませんでした。時間の按配は私の心性に対して直接の試練となり、同時に、心性の高さは直接身体の耐えられる能力に影響してきました。

 私は常に深夜まで人員の按配をし、それからチケット販売状況の更新をし、朝何時に終わるか知らず、時には朝6時までやって終わりました。すると、私はすぐ床に座って、座禅をし、それから少し寝て出社しました。いかなる人心もないとき、師父は常にそばにおられ、法を私の頭に叩き込んでくださっていると感じました。ある日、私はある同修と私のこの感受について交流しました。彼は私に電子メールを送ってきましたが、内容は師父の『転法輪』の中での次の法でした。「修煉者の功、特にその人の心性の高さも加えたものは、その人が一生において数え切れないほどの苦痛に耐えて、きわめて困難な環境の中で試練を受け、修煉することによってできあがってきたものなので、この上なく貴重なものです。これほど貴重なものの八割も出して自らの世界を充実させるのですから、将来修煉を成就した時、欲しいものは何でも手に入り、やりたいことは何でもやれるようになります。彼の世界の中には何でもあります。それは彼の威徳であり、苦しみを嘗めつくして得たものです。」

 この世間で、私たち大法弟子が法を実証するために、自ら何かをやりだすと、他の空間では、師父が私たちに無上の栄光と威徳を準備してくださいます。これは大法の無量な慈悲と威徳の現れです。師父は「実は、皆さん自身よりも、わたしは皆さんのことを大切にしているのです!」(『精進要旨二』「最後を執着を取り除こう」)と説かれました。

 ですから、チケット販売の協調でとても忙しくても、私は常に幸せを感じ、師父が『二〇〇三年旧正月十五日の説法』で説かれた「ただ修煉について言えば、宇宙の低次元においてとても複雑ですが、高次元になるととても簡単になり、修煉という概念もなく、ただ業力の消去という概念だけになります。さらに高い次元になると、全ての厄介なことは天に上るための道を開いているだけであると言っています。それより更に高い次元になると、業力の消去や苦を嘗めることや、修煉などの概念もなく、選択ということしかありません!」について、さらに理解できるようになりました。

 私たちが全力を尽くして法を実証し、衆生を救い済度するという道を歩み、常人の中で「力を出す」という状態で現れる時、私たちが何かをし、何かを力を出したわけではなく、すべては師父がやっておられるのです。師父が私たちを選び、私たちをきれいに洗い、私たちが元のところに戻れるようにしてくださっている、と感じました。

 師父が導き、指導される下で行われる神韻プロジェクトの中で、師父は私たちに法を与えてくださり、私たちのために生々世々において作った業を消去してくださり、私たちに衆生を救い済度するチャンスを与えてくださいました。私たちの現在と将来の責任は、いかにしてさらに多くの世の人々を神韻公演の会場に案内し、彼らが大法に救い済度され、師父の必要とするものを円容するかということです。

 師父、ありがとうございます!

 同修のみなさん、ありがとうございます!

 (完)

 (二〇〇九年カナダ法会での発表原稿)

 2009年5月28日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/5/20/201312.html