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内に向かって探して目覚めた

(明慧日本)きょう正見ネット上の文章を見て、とても啓発されました。その内容はある老年夫婦の家庭中での修煉体験です。私と夫は70歳ですが、修煉してから十数年を経ても、修煉状態はあまりよくありません。たまにつまらないことで口喧嘩したり争ったりして、話のなかに互いに欠点ばかりを口にして、ひいては数日間話もしませんでした。

 以前、子供と一緒に生活しており、家事が多くて学法する時間は少なかったのです。いま、子供たちは出ていって、時間的に余裕はありますが、まだ修煉を急がず口喧嘩ばかりする暇があるのかと思いました。今の修煉環境は師父が按排してくださったので、きっと大事にして、学法、心性の向上、三つのことをしっかりしなければなりませんし、トラブルに対して内に向かって探さないといけないと分かりました。

 たまには悟ることもありますが、しかし真の忍とは言えません、無理に忍んでいます。時には忍ができないときに我慢だけして、心に怒りをためています。師父は『転法輪』の第一講の「煉功してもなぜ功が伸びないのか」の中に、功が伸びない根本的な原因について明確に示されました、それは「高次元の法が分からないために修煉ができないことと、内へ向かって修煉せず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです。この二つが原因です」と仰いました。

 我々の年齢の人は大体邪党文化の中に浸っており、文化大革命を経験したことがありますので、いろいろのところで自己を保護し、心を閉じて、固有観念を持って物事を判断します。そのため自分の非を無視して人のことばかり見て、懐中電灯のように人へ向かって照らし、自我を重んじています。これらの心があってどうやって向上できるでしょうか?

 私の大きい欠点は顕示心が強いことです。いかなるところでも自分のことをみせびらかして、自分を主張することが強く、悟性がよい、用意周到であると自己満足しています。ある日、夫と話して、ついつい相手の非を責めて自分をほめるような話をしてしまいました。このときに、夫は機嫌が悪くなり、お前は悪口ばかり言うと不満が噴き出しました。当時私は黙って何をもいわなかったのですが、貴方のために法理に基づいて悟って、貴方の向上のために言ったのに、このことを言われてひどく、心を傷つけられたと思いました。一遍によくない心、怨恨の心が全部湧いてきて、私は数十年も貴方について行って、あちこちでたくさんの苦労をして、ひどい目にも遭って、功労はなくても苦労があるでしょうと愚痴を心の中にこぼしました。怨恨をこらえて、ひそかに涙を流しました。ちっとも内に向かって探しませんでした。なぜ自分を叱るのでしょうか? 自分はどこかによくない心があるのかと考えませんでした。

 師父は「皆さんに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)と説いておられます。顕示心も執着心であり、必ずなくさなければならないのです。私は思わぬ表現をしましたので、どれだけの強烈な執着心でしょうか、絶対なくさなければならないとわかりました。

 「多くの学習者は常人の中で修煉しているため、いろいろな心が捨てられず、そうした多くの心がすでに当然なものになっていて、本人も気づきません。この顕示心理もいろいろなところに現われており、良いことをする時にさえ現われてきます。普段から自分の名誉や利益のために、ちょっとした良いことがあると、それをことさらに言いふらしては、自分がいかにすごいか、強いかを吹(ふい)聴(ちょう)します」(『転法輪』) 私はまさに師父に言われた人ではないでしょうか? 私の顕示心はすでにこれほどに達して、これではどうやって向上しますか? 私は絶対これを根こそぎ取り除きます。

 師父は修煉の中に現れたことが良いことも悪いことも良いものであると説いておられます。本当にその通りです。私はここまで悟って、心が落ち着きました。怒りもなく、怨恨の心もなくなり自分が悪くなければ言われないはずだと思いました。こう思ったとたんに、夫は近づいて、「ごめんね、おれが悪かった、言いすぎた」と話しました。対立は無くなりました。

 たまには人のためにしようと思うものの、言い出した話が受けられない時に、理解できず、原因は分からないのです。しかし、内に向かって探したら、自分の基点はよくなく、自分のことを顕示したい、自分を実証したくて、大法のことを実証しようと思っていませんでした。これは基点の問題ですので、効果が悪くてもおかしくありません。もしどこでも人のために考えて、慈悲を持って物事に対応すればきっと結果が違うはずです。たまにつまらない事にも争ったりして、とんでもないことです。

 最近私は寝る前に一日のことを振り返って、内に向かって探し、どこがまだ不足で、どんな話は悪かったとか、良くない心はあるかどうかをよく考えます。自分自身を真に修煉者として律し、常人と混同しないように、自分を修めて、三つのことをしっかりすることだけを思いました。

 本日ここまで書きだしましたが、なんとなく機嫌が悪いのです。なぜでしょうか? やはりこの良くない心は他の次元に物質として存在しており、それを暴露し、なくそうとしたら、それが承知しないわけです。だから心から痛みを感じて、気持ちが良くなく、機嫌が悪いのです。ここまで悟って、急に私の心は明るくなり、落ち着くようになりました。これらのよくない物質を完全になくして、真に向上し、昇華したいと思います。

  これだけ話しましたが、不足のところをご指摘ください。

  師父、ありがとうございます!

 2009年6月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/10/202394.html