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黒龍江省鶴崗市:郭興国さんは釈放後わずか1カ月で死亡(写真)

(明慧日本)黒龍江省鶴崗市興安区の法輪功修煉者・郭興国さんは、2002年9月、中国共産党に不法に15年の懲役刑を下され、鶴崗市第一留置場、及び呼蘭刑務所に拘禁されて拷問を加えられた。何回も危篤状態に陥ったが、警察は釈放しようとはしなかった。2009年5月7日、郭さんは再起不能の危篤状態に陥った。それを見た警察は責任を逃れるために釈放を認めた。しかし、非常に危険な状態に陥っていた郭さんはそれからわずか1カ月にもならない、2009年6月3日に無念な思いを晴らせないまま、この世を去った。

釈放後、自力で生活ができない状態の郭興国さん

 郭興国さん(40歳)は、黒龍江省鶴崗市興安区第二委第五組に在住。郭さんは1996年頃から法輪功の修煉を始め、修煉後は自分を苦しめてきた肋膜炎が消え、身体はかつて感じた事がないほど健康になった。それだけでなく、生活習慣も変わり、タバコと酒もやめ、職場では誰よりも頑張って働き、法輪功の「真・善・忍」の教えを守りより良い人になるために努力し、暖かい家庭を作り上げた。

  1999年「7.20」、中国共産邪党は全国的に法輪功への弾圧を開始した。郭さんは自分を救ってくれた法輪功の修煉を相変わらず継続し、中共関係者らに約1年間、監禁され迫害された。郭さんは家族が金を払い、やっと釈放された。その後、郭さんは人々に弾圧は不法であり、間違っていることを伝え続けた。そのため中共は、再び迫害し、攻められた郭さんは、家があっても帰る事も出来ず、家を離れ放浪していた。2009年までずっと放浪生活を強いられ、家族全員が揃って顔を合わせることは一度もなかった。

  2000年に郭さんは陳情のため上京したが、天津を経由する際に連行されて2カ月間監禁され、その後、地元の警察署に移送された。その間の18日間は断食して不法な監禁に抗議し、早く釈放するように要求した。警官は、郭さんが危篤状態に陥ったのを確認してから、家族を脅迫して500元を騙し取った後、釈放した。

  2001年の新年の直前、郭さんは法輪功が不法に弾圧されていることを手紙に書き、鶴崗市興安区新建興安出張所宛に送った。これにより連行されて殴られ、法輪功修煉者を集団で監禁して迫害を繰り返している鶴崗市第二留置場に移され、酷い虐待を受け、その際、何回も血を吐いた。18日間、断食を行った後、医師の診断の結果、郭さんは肋膜炎にかかっていることが判明した。その時の郭さんは、骨と皮ばかりに痩せこけていた。父親はとても心配し、方々を尋ねて釈放を要求したが、結局、警察は約1千元を没収してから息子を釈放した。

  郭興国さんは釈放後も法輪功の修煉を続け、身体は驚くような速さで快復していった。

 2002年に、郭さんは陳情するために北京を目指している途中、天津で連行されて迫害された。修煉により消えていた肺結核の症状が再び現れ、独り狭い監房で家族との面会もないままに、拷問を繰返された。母親も中共に迫害されて死亡し、家には60歳の父親が孤独な生活を送っている。

  2002年9月、郭さんは中共に何の根拠も無いまま裁判にかけられ、懲役15年の刑を下された。2002年の年末、迫害されて重病を患っている郭さんをハルピン刑務所に護送して迫害した。

 2003年2月、鶴崗市第一留置場のボスは、医師と家族の前で危篤状態に陥った郭さんを病院に連れて行き診察した結果、両肺が侵され、酷い貧血状態に陥っていることが判明した。しかし郭さんは薬を飲まず、煉功を続け、間もなく身体は回復した。すると中共は、再び郭さんを鶴崗市第一留置場に戻して、引き続き迫害を始めた。

  2004年10月30日、鶴崗市の警察は、郭さんをハルピン刑務所に護送したが、危篤状態に陥っていた郭さんを刑務所側は受け入れを拒否した。するとまた鶴崗市第一留置場に戻して、引き続き迫害した。間もなくして呼蘭刑務所に護送して虐待を続けた。

 2008年の年末、郭さんは再び危篤状態に陥った。すると、呼蘭刑務所は家族を呼び寄せて脅迫しながら、死んでも刑務所とは何の関係もないという書類にサインをさせようとしたが、家族の堅い反対にあい陰謀が実現できなかった。中共は郭さんの治療目的の釈放を拒否し、刑務所に引き渡して引き続き拷問した。

  2009年3月9日、家族が面会に訪れた時、郭さんは身体が倒れそうに傾き、言葉を発する力もなかった。家族は当日、刑務所の所長・田越強、副所長・肖吉権らに釈放を求めようとしたが、陳衛強と名乗る者が会わせなかった。「釈放は上司の命令を待つ」と言いながら、家族に「数日間待つように」と言って騙した。

  2009年4月、呼蘭刑務所側はハルピン司法局の診断を元に、郭さんは1カ月以上生きないだろうと判断した。家族に釈放の手続きを取るように通知したが、興安区610弁公室はそれを拒否した。家族は610弁公室と親しい人に金を渡して釈放させたが、家族は結局1200元を支払った。

  釈放された郭さんは、地元の610弁公室に監視され、家族は「誰が家に来ても警察に報告するように」と脅迫された。

  6月2日、郭さんの容態は突然悪化し病院に運ばれたが、6月3日の夜、無念な思いを晴らせないままこの世を去った。まだ40歳だった。興安区の警察は家族を脅迫し、「早く遺体を火葬するように」と強要し、「陳情してはならない」と脅迫した。

  (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照) 

  2009年6月27日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/26/203468.html