日本明慧
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功徳無量の明慧の10年

(明慧日本)大法弟子として、明慧を評価する資格はありませんが、しかし私は敢えて自分の感受を話そうと思います。資料スポットの修煉者として、私は中国大陸の修煉者にとっての明慧の役割をよく知っています。

  私がインターネットを始めたきっかけは、中国共産党のインターネット封鎖から始まりました。数日間インターネットの自由を満喫したあと、「7・20」事件が起こりました。その時、私は個人のパソコンを持っていて、インターネット封鎖を突破するソフトを持っていました。他の修煉者はまだ非常に少なく、そのため、私の家は自然に資料スポットとなり、師父のご加護の下で、今日まで歩いてきました。

  邪悪がもっとも猖獗(手が付けられない)をきわめた時、たくさんの修煉者が長期間大法の情報が得られなくなり、たくさんの修煉者が迫害されて、意気消沈になりました。私が彼らに明慧の文章を伝えた後、まもなく修煉者の目には正念の光が見えました。

  その時、たくさんのやる気満々の修煉者が興奮してそれらの迫害真相を暴露した文章をパンフレットとして配りました。うそのニュースを見たたくさんの修煉者が明慧の文章を読んでハッと悟り、親友たちに真相を伝えました。言葉の苦手な修煉者が、真相を伝えようと、立て板に水のような話術を身につけ、家庭と社会の環境を立て直しました。

  そのもっとも難しい時期に、煉功スポットの修煉者と法を学ぶチームの修煉者は、明慧資料を伝え合い、また一緒になり、法を正す時期の大法弟子の重任を担いました。明慧はまるで暗闇の中の一つの光のように、師父の法を正すテンポに間に合うように導きました。

  大陸の修煉者にとって、法を正す時期に、信じられるのは明慧ネットだけです。どの輔導員も、どのスポットの責任者も、法を持って新しく評価しなければならなくなりました。偽物の経文が出たり、スパイが現れて資金と名前リストを騙し取ったり、逆に悟った人が公演や口コミ商法を宣伝したり…と、たくさんの妨害と破壊を受けましたが、明慧の指摘ですぐ分かるようになりました。もし明慧の導きがなかったら、損失を受けずに歩き出すのは難しいことでした。

  明慧ネットは世界の大法弟子の無形の絆です。どこでも、監獄の中でも、明慧の文章を読むだけで、法を正す洪水の中に身を置いている感じがします。落伍した修煉者は、法を正すテンポに間に合い、孤独な修煉者は、全体の力量を感じ取れます。戸惑っている修煉者は、交流を通じてだんだん明晰になり、技術の分からない修煉者は、探すことができます。

  自分で把握できないことは、明慧で明確な答えが得られます。明慧は全世界の修煉者に守られ、明慧はすべての修煉者を助けています。

  明慧ネットは邪悪を窒息させる法器です。10年の間、数えられないほどの文章を投稿しました。主に迫害を暴露する文章です。迫害が発生するたびに、私の仕事はそれをネット上で暴露することです。他の修煉者は発正念するか知人を訪ねますが、私と妻は家に帰って資料を収集して、文章を書きます。

  邪悪は明慧を一番怖がっています。我々は明慧の威力をよく分かっています。迫害事件の転換は、往々にして明慧の暴露から始まりました。明慧は迫害された修煉者を大きく助けています。迫害されたことのある修煉者の話によると、明慧ネットで暴露される瞬間、警官の態度も一変するということです。

  何度か暴露された後、仕事を変え、公に顔を出さない有名な悪人もいます。悪人にとって、明慧は彼らの罪の証を記録するファイル館になりました。彼らは慌しい毎日を送っています。

  明慧は、私たちの真相資料を作る修煉者の宝庫でもあります。大陸の修煉者が作成した無数の真相資料は、主に明慧から来ます。

  大陸の修煉者にとって、明慧は師父に会える唯一の窓口です。師父の写真、経文、そのすべてが我々を感動させます。

  資料スポットの修煉者がもっとも興奮している作業は何か分かりますか? 師父の新しい経文をプリントすることです。師父の新しい説法があるたび、その気持ちは、まるで幼い頃に正月を待つような気持ちです。明慧は、私たちと師父を繋いでくれます。

  明慧とともに10年を歩いてきました。明慧の10歳の誕生日に際して、明慧がより広く伝えられ、より穏やかに歩き出すことをお祈りします。

  また、この機会を借りて、日々明慧を守っている編集部の修煉者に深い感謝の気持ちを伝える同時に、精進することをお祈りします。

  2009年6月28日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/25/203427.html