日本明慧
■印刷版   

全体が一致協力して神韻を迎える(二)

(明慧日本)

 三、10万枚のチラシ

 協調人としては必ず法理をはっきりさせ、毎回の正法の進展状況を適時に把握する責任があります。全体で向上し、昇華するために責任を持ち、「大法を堅く修しに心を引き締めて師随って行く」としなければなりません。師父は『米国首都法会での説法』の中に「現在、皆さんは他でもなく、更にしっかりと行い、効率よく行い、より広い範囲に影響を与え、更に多くの人を救うことができるようにするべきです 」と説いておられます。 

 オタワ地区は88万人で、付近の州の都市を加えても120万人に過ぎません。2009年、私たちは佛学会から主催の機会を得て、難しかったのですが、師に従って衆生を済度する気持ちで、4回8800枚のチケットの公演を決めました。最初から皆で鼓舞し、互いに補い合い、円容しました。古代の衣装を購入してアピールを始め、周辺都市でのチケット販売、営業で直接売り込みなどをして切磋琢磨し、誰かの意見が良ければすぐに皆が協力しました。ある協調人はいつも黙々と良いアイディアを出して最後まで貫きました。しかし、万事順調ということはなく、修していない人心も常に表れてきました。

 2008年8月、初回の神韻公演情報を載せるチラシが印刷されました。しかし、金曜日夜8時の公演が午後2時に間違って印刷され、大きなミスが出ました。私は余りの過信で、チラシの校正に十分な時間を与えず、大きなミスをしてしまったと反省しました。

 10万枚の神韻公演チラシの印刷を間違えて、協調人の1人はすぐに怒り出し、私が余りにも自己主張が強いせいで、この大きなミスをしたと私を責めました。そして私の最近の言動を挙げて自己に執着していると批判し、言葉も厳しくなりました。もう1人も相槌をうったので、対立がますます強くなり、その場は普段の穏やかさがなくなりました。

 数日後、ある同修が皆にこの間の事を話しました。「皆さんに一つの事を一緒に討論したいのです。ある修煉者が宣伝チラシを間違って印刷したので、皆が彼を非難しており、本人はかなり咎めています。皆さん一緒に悟ってみましょう」

 それから協調人は私と直接交流しました。深く反省を促され、これからは二度と人の非ばかり見ないようになりました。当然私も彼女の変化を嬉しく思いました。

 実はこのことを通じて、トラブルが発生した時に、表面の是非を判断せず、修煉者として無条件に内に向かって探すべきだという師父の法理を我々は一層理解しました。人の問題を指摘する時に、自分の心理も大事です。問題が発生した時に責任を問うのではなく、円容することを手伝うべきだと師父は言われました。誰でも間違う可能性があり、人に寛容に対応すべきだと思いました。このチラシのことは私に対してもよい警告になりました。以前、私は滅多に間違えないと、いつも全体の力を信じていたからです。しかし自己主張をし過ぎると、邪悪に隙に乗じられるのです。

 もちろん、間違った10万枚のチラシについて、オタワの修煉者全体はとても寛容な態度を採りました。皆は簡単にチラシを捨てないで、間違ったところを訂正することで一致しました。ペンを買ったり、チラシを分けたり、シールを作ったりして、全体的に協力し合ってこのミスを直しました。交流の中で、たとえ自分が校正し、印刷のことに参与しなかったとしても、今回の訂正の機会を利用して正のエネルギーを加えて、人々に神韻を注目させようとしました。結局、ほぼすべての修煉者はこの訂正に参与して10万枚のチラシを無事に配りました。

  四、スポンサー探し

 2007年オタワの神韻公演後に、現地のある新聞記者のGは中共に操られて、公演を見ないまま悪い報道をしました。我々を妨害したので、私たちはただちに記者会見を開いて、虚言を暴露し、真相を伝えると同時に、ずっと記者のGおよび新聞社社長と連絡を続けました。私は公演を見たことがある当社のスポンサーを担当するRさんに真相を伝えて、さらに観衆からの称賛を紹介しました。しかし、中共はずっと動いていました。2007年下半期に、中共はG記者に無料で中国旅行をさせました。Gは瀋陽の蘇家屯に行って、帰りにもう一つの文章を書いて中共の生体から臓器移植の蛮行を否定するつもりでした。私たちは続けてGと当新聞社に真相を説明しました。2008年の神韻公演を準備した時に、私の正念が足りなかったせいで、この新聞社の協賛を得られませんでした。

 2009年の公演を準備するとき、私は正念を強く持ち、当新聞社に協賛をさせて初めて以前の過失を挽回することができ、真に慈悲と言えると思いました。2008年の1月公演後に、私はすぐに当社のスポンサー担当のRさんに連絡して、私たちは空前の成功を収め、中共の大使館がこれほど妨害をしても私たちは退かずに倍の公演を行い、大成功を収めたと教えました。この情報はRさんをびっくりさせました。私がスポンサーの話を出した時に、Rさんは拒否しませんでしたが、とても難色を示しました。

 ついに、7月の初めに、Rさんは面会を承諾し、もう1人の同僚を誘って金曜日に会う約束をしました。面会するだけで半年間かかり、容易なことではなかったのです。当日、私は車に乗ってから『法正乾坤』を歌い始めました。途中にRさんからの電話が掛かり、もう1人は用事があるため来られず面会をキャンセルするとのことでした。私はすぐに次週の面会を提案しましたが、Rさんは4週間の休みを取ったと言いました。私は頭が真っ白になり、「顕示心にさらに歓喜心が加わると、魔の心に最も利用されやすいのです」(『精進要旨』(定論」)の意味が分かりました。

 4週間経って、Rさんの休みが終わりました。私は何回も電話で連絡したので、やっとRさんは8月の中旬に再度面会を段取りしてくれました。この時に師父の『転法輪』の中の羅漢を修める物語を思い出して、今度こそ厳粛に対処し、人を救う心以外は何一つもたないと思いました。私はもう1人の正念が強い同修を誘って、発正念をしてくれるように頼みました。

 Rさんは会っていきなり、2009年の公演は2007年時のメッセージと同じですか? すなわち法輪功の内容もありますか? と聞きました。私は「同じです。公演は正真正銘の中華伝統文化を高揚し、法輪功の部分も伝統文化の精華であり、不可欠です」と答えました。Rさんは二度と聞かずに協賛の具体的な問題に進みました。数日後、Rさんは協賛の具体的な方法を教えてくれました。

 この事件は私に大きい感懐(日常的ではない事に接し、心に感じること)を与えました。協調人は局限に晒されることがあり、いかなる心も旧勢力に妨害されます。しかし全体に協力し合うと不足を補うことができ、妨害されにくくなると私は悟りました。

  師父は「大道無形」、仏は「集まれば形になり、散れば物になることができますが、彼には形象があります」(『ニューヨークでの説法』)言い変えれば、私たちは如意に組み合わせて、いろいろな団体を成立することができます。全体の形に大小の区別はありません。ある協調人は、各チケット販売ステーションの状況はその場所の全体の修煉状態を反映しており、販売能力に関わらず、全体的な場と決められたので、皆さんは必ず互いに協力しなければなりませんと話しました。もう1人の協調人は自分の担当している販売所の全体状況をとても重んじ、各修煉者の修煉状況に応じて組み合わせ、最強の衆生を済度する正念の場を作ることに努力しました。私も自分の不足がよく分かりました。

 (続く)

 2009年7月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/5/19/201239.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/6/6/108060.html