日本明慧
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早く執着を取り除こう


文/安徽省大法弟子

(明慧日本)法を正す進展はすでに終りを迎えていますが、私にはまだ多くの執着心があり、本当に偉大なる師父に申し訳ないと思っています。

 ある日、私は買い物をするために市場に向かいましたが、途中で知人に会いました。彼女は私に会うとすぐ「あなたの顔色は何ときれい! 髪の毛も黒いし」と言ってくれました。私は嬉しさのあまりに彼女を抱いてキスをし、また歓喜心から生まれた多くの話をしました。しかし、市場について手提げを開いた時、財布が盗まれたことに気づきました。当時これは自分の歓喜心を修められなかったため、起きたのだと悟りました。

 それから数日後、私は焼餅(シャオピン、面を焼いた食べ物)を食べたくなりました。焼餅は塩味もあるし、あぶらの味もあるから美味しいと思っていました。しかし、焼餅のお金を支払った後、財布がまた無くなったことに気づきました。私は頭の中が真っ白になり、どうしてこういうことが起きたかを考えてみました。後になって「食しても味わわ不(ざ)れば、口その執着を断つ」(『洪吟』の「道中」)を思い出しました。師父は「常人の中で捨てられないような心を、全部あなたに捨てさせなければなりません。どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです」(『転法輪』)と説かれました。

 ある日、私は真相の書かれた紙幣を持って買い物に行きました。当時、3人が代金を受け取りました。私は疑心が生じ、彼らに発見されることを恐れて、そこを去りました。その後、私は自分の心理状態を調整して、安定させてから、ほかの所に行ってその真相紙幣を使いました。師父は「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」『転法輪』)と説かれました。

 修煉の道で、私は多くの不思議なことを経験しました。私たちが神の念を動かし、事をする時の出発点が正しければ、師父は私たちを助けることができます。ある日、私は親戚の家に行きました。食事が終わって、茶碗を洗った後ですが、時間も遅くなったので、家に帰って法を勉強し、正念を発しないといけないと思いました。しかし、私が庭に出てみると、空には黒い雲が隙間なく広がっていて、雷が絶えず鳴り、大風が吹き始めていました。親戚の人は「あなたは今行ってはいけません。かりに行くとしても、タクシーに乗り、傘を持っていかないといけません」と言いました。

  私には当時こういう一念が生じました。雨は降らない、師父には必ず対応策がある。そして、私はカバンを肩にかけ、急いで家に帰りました。カバンの中には大法の真相資料が入っていました。心でこれらの資料に損があってはいけない、これは大法弟子が命の危険を冒して製作したものだ。衆生を救い済度することは何よりと大事である。また心では、大雨よ、少し遅くなって降ってね、と言いました。このとき、雲は頭上で動き回っていましたが、雨は降りませんでした。

  隣では通行人が「大雨は降らない」と言っていました。これは師父からのヒントであり、私を励ましてくださる言葉だと悟りました。私が野菜ハウスに着いたとき、大雨が降り始めました。私は雨がいつ止むかわからないので、早く家に帰って大法弟子の行うべきことをやろうと思いました。私は大雨が私のカバンを濡らさないように師父に加持を求め、急いで家に帰りました。家に着いてみたら、身体は濡れていましたが、カバンは濡れておらず、少し雨粒が着いているだけでした。私はカバンを抱き、涙が頬を伝って流れました。偉大な師父は大法弟子のために多くの手助けをして下さり、また、耐えてくださいました。なのに、私たち大法弟子はまだ放下できない何か執着があるのでしょうか?

 この法を正す最後に時期に、私たちは時間を大事にし、心を静めて法を勉強し、執着心を早く取り除き、三つのことをしっかり行い、私たちの先史の大願を実現し、師父について円満成就しないといけません。合掌。

  2009年7月3日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/6/28/203535.html