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大法を信じ、改めて三つのことをしっかりと行う


文/北京大法弟子・一枝梅(仮名)

(明慧日本)

  一、修煉の道に戻る

  私は1998年の春に修煉を始めました。その時、法をあまり深く学んでおらず、悟性も低いため、大法の大切さを理解できませんでした。1999年7.20から天地を覆い隠すほどの邪悪の迫害と恐れる心、及び一部の人の妨害で、修煉を放棄しました。大法から離れたため、次第に情欲に溺れ、成り行きにまかせて、常人になったのです。常人の社会の中でも挫折して、窮地に陥った時に、慈悲で偉大な師父は私を見捨てずに、私をもう一度大法の道へ連れ戻してくださいました。そこで、私は再度修煉に戻ることが出来ました。

  同修の助けのもとで、続々と師父の後期の講法を受け取り、飢えるがごとく、渇くがごとくに学び始めました。以前修煉していた基礎があったため、早く法を正すことの進展に付いて行くべく、三つのことをしっかりと行わなければならないことが理解できました。 

  二、大法に表れた不思議

  修煉を始めてまもなく、ある日、私は自転車に子どもを乗せて夫の会社へ遊びに行きました。途中で、反対側から急速に走ってきたワゴン車(ワゴン車は逆行でした)に私の自転車の速度も速かった為に避けられずにぶつかってしまいました。車は止まったものの、私の片足はまだ自転車に跨り、もう片足は地面について、自転車は倒れずに済みましたが、子供はびっくりして泣き出しました。運転手は車から降りて来て、「大丈夫か?」と聞かれましたが、「大丈夫だから行って下さい」と返答しました(当時は師父の教えに従って良い人になろうと思って言っただけでした)。その後、私は自転車に乗って夫の会社へ行き、その話を夫に話しました。私は、師父が私たち親子を守ってくださったのだと言いました。夫が自転車を見ると何と自転車は既に曲がって、車輪も後ろ向きになっていました。夫の同僚も、どのようにして乗って来たのかと聞きましたが、私は全然覚えていないと返答しました。

  また、1999年7.20以降、ある日の晩、私が寝ているような、寝ていないようなうつつの状態の中で、師父がずっと耳元で私に話をしてくださいました。当時の悟性が低くて、悟れませんでしたが、再度修煉に戻ってから、それを思い出す度に思わず涙を流しました。あれは師父の慈悲で、私を見捨てない為に、私があまりにも深く迷い込んで、戻れなくならないように、私の頭の中に大法を打ち込んでくださったのでした。

  大法を実証して衆生を救い済度する時でも、更に師父の加護がありました。住民区、住民マンション、農村へ真相資料を配りに行く時、人が多いのですが、私が資料を配る時はほとんど人に会いませんでした。ある日の午後、私は資料を配りに出かけて、そのついでに子供を迎えに行くつもりでした。2棟のマンションを配り終えて、自転車のキーを開けようとした時に、鍵を間違って持ってきたことに気づき、どうしたら良いだろうか途方に暮れましたが、迎えの時間も近いし、私は急いで師父にお願いをしました。「師父、弟子を助けてください。すぐに行かなければなりません」と言い終わったとたんに奇跡が表れました。私は自分が間違って持ってきてしまった小さい鍵で自転車のキーを開けることが出来たのです。とても感激しました。

  母も大法弟子で、家は農村にあります。そこの家には、果物と野菜を貯蓄する穴蔵があります。ある日、母は果物を取りに降りようとしたとき、なんと足を踏み外して、穴蔵の底に落ちました。母の体重は重くて、それにもう60歳くらいで、大変なことになると思いました。当時、母の意識ははっきりしていて、目を開けると、なんと自分がすでに家のオンドルの上に横たわっていました。父が側に座っているのを見て、「私はなぜオンドルの上にいるの?」 すると父が「お前は自分で入って来たんだよ。手には懐中電灯(果物を取る時に使うつもりでした)を持って、服の背中に土がついていて、入ってくるとすぐ横になったよ」と返事しました。

  母はさっき起きた事を父に話しました。父もとても驚き、母もとても感動し「師父が私を救ってくださったのです! さもなければ、私が穴蔵の中に落ちたことは誰も知らないはずです。(当時、父はまだ修煉していませんでしたが、大法が素晴らしいことを知っていました。しかし、以前から修煉して来た別の教えを放下出来ないでいました)。しかし、それ以来父も大法を修煉し始めました。

  ちなみに、私のおばさんの夫が脳に腫瘍が出来て治療する費用がなく、近くにいる大法弟子は彼に大法の真相を伝えて、「法輪大法が素晴らしい、真・善・忍が素晴らしい」と真心で黙読することを彼に教えたら、彼はすぐに健康が回復して、見たところまったく重病に患ったことのある人に見えなくなりました。

  三、難関の中でもしりごみしなかった

  夫も同修であり、修煉の過程で私達夫婦は互いに支え合い、助け合って、ここ数年、三つのことを比較的に順調にやって来ました。夫は自由業であり、大法を実証して、真相を伝えるのに時間的余裕があり結構都合が良いのです。私が資料を作って、夫はそれを配ったり貼ったりしていました。資料がなくなると、私が作りました。月日が経つ内に夫はまるで仕事をするような心が起きましたので、たくさん学法して、しっかりと正念を発して、自分をしっかり修めなければ、衆生を救い済度できませんと私は何度も彼に注意しました。

  彼は口では分かったと言いますが、心には届いていませんでした。それに彼には取り除いていない執着心もあったため(ここでは詳しく述べません)、邪悪に隙に乗じられて、2008年4月、街頭で真相シールを貼る時、警官に追跡され直接現地の留置場に不法に連行されました。当時、夫の正念が強かったため、家の住所は言いませんでしたが、その後、警官らに家を捜査されて、家財を差し押さえられましたが、損失を最小限に抑えることが出来ました。

  夫が不法に現地の留置場に拘禁されている間、周囲の同修たちは恐れる心があったため、私と接触する勇気がありませんでした。しかし、正念を発してくれたかも知れません。私は夫を返して貰うために、よく1人で留置場へ行き、正念を発しに行きました。その間、ある女性の同修が私と一緒に2回留置場へ行ってくれました。ある男性の同修も私と一緒に夫に服を届けに行ったこともありました。もう1人の男性同修は私の状態が良くないのを見て、何度か私を見に来てくれたこともありました。この同修らの助けに対して、ここでお礼を申し上げます。当然、他の同修も私に関心を示してくれたと思いますが、ただやり方が異なっていただけだったと思います。彼らにもお礼を申し上げます。

  自分が常人の心だった為に、「あなた達が私を見に来てくれなくても、励ましに来てくれなくても、夫を助けるため援助に来てくれなくても、私は自分からあなた達に助けを求めない」と思い、同修に対して恨みの思いが生じて距離を置き、同修たちと直ちに全体を形成しなかったために、邪悪に隙を乗じられ、夫は不法に2年の労働教養を下され、現在、夫は不法に労働教養所に拘禁されて迫害されており、大法を実証して、衆生を救い済度することに挽回できない損失をもたらしました。

  その間、私は落ち込んだり、意気消沈したりしたこともあり、どうすれば良いのか分からなくなった時もありました。この状態は間違っていて、大法弟子の状態ではないと分かっています。順調な時にしか大法を実証せず、衆生を救い済度出来ないのでしょうか? 難が来たら退いたのでは、真に修める弟子でしょうか? 慈悲の心で私達を済度しておられる師父の期待に背いているのではないでしょうか? その間、同修たちも私にたくさん学法して、と励ましてくれました。「法は一切の執着を打破することが出来て、法は一切の邪悪を打破することができますし、法は一切の虚言を打破することが出来、法は正念を固めることが出来るのです」(『精進要旨二』「妨害を排除せよ」)

  学法を通して、師父は私の良くない考えと邪悪の妨害を取り除いてくださいました。時にはまだ出て来ますが、私はそれを恐れません。私は既にそれをはっきりと見極めて、それを一掃し、その妨害を受けません。穏健に大法を実証して、衆生を救い済度する光明な道を歩んでいます。

  精進している同修に比べて、私がやったことはまだ足りませんし、大法の要求までまだ遠いですが、必ず努力してしっかりと行い、師父と共に歩みます。

  2009年7月4日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/3/198257.html