日本明慧
■印刷版   

山東省蒙陰県:法輪功修煉者・呂震さんが生前に受けた迫害情況

(明慧日本)山東省蒙陰県の法輪功修煉者・呂震さんは、2009年6月22日に山東省の第1刑務所で迫害により死亡した。家族は刑務所側から、2009年6月22日の明け方、呂震さんが急死したと告知された。現在、呂震さんの遺体は山東大学付属病院の死体安置所内に保管されているという。聞くところによると遺体の首、股部の数カ所に青紫色の傷があるという。

 呂震さん(漢族、男性)は、1976年7月25日に生まれ、山東省蒙陰県蒙陰鎮の西儒来村に住んでいた。小さい頃から苦労していたが、聡明で、善良な人柄で正義感に満ち溢れていた。重慶大学在学中に修煉を始め「真・善・忍」に遵って自分に厳しく要求し、重慶大学の国際金融専門科で、学問、品行ともに優れた才気溢れる優等生だった。 

 呂震さんの身体は健康で、家族の中に心臓病が原因で死亡した者は1人もいない。しかし、臨沂、蒙陰の「610弁公室」から、呂震さんは気が狂ったという知らせを受けた。しかし家族は、呂震さんの身体状況について、いかなる知らせも受け取ったことがなく、突然、呂震さんの訃報を受け取った。呂震さんは山東省刑務所でずっと深刻な迫害を受けていた。以前の明慧ネットが暴き出した迫害情況から見ても、今までの中国共産党の法輪功迫害の手口から見ても、呂震さんは電撃されて死亡したか、あるいは精神病の薬物を注射されて死に至った可能性が高い。 

 2000年5月、呂震さんは大学4年の時、法律に基づいて北京へ真相を伝えに行ったため、学校側から不法に除名された。2000年6月に再度陳情に上京したため、重慶の西山坪労動教養所まで連行され、不法に1年の労働教養をされた。同時に重慶大学の不法な人員は呂震さんの学士学位を授与してくれなかった。重慶西山坪労動教養所で、呂震さんは何度も残虐な拷問に遭い、頭、腕にとても深い傷跡を残した。 

 出獄した後、呂震さんは学校側から蒙陰まで送還された。戸籍も重慶から移籍されたが、蒙陰の不法な人員は受け入れを拒絶したため、呂震さんの戸籍は行方不明となった。 

 家に帰った後も、呂震さんは安らかな日はなかった。現地の「610弁公室」の人が、村のスピーカで、毎日呂震さんの名前を叫ぶように指図した。村民を呂震さんと接触させないようにしたため、家族は極めて大きな圧力に耐えていた。このために呂震さんは家を離れるしかなかった。 

 2004年3月、呂震さんは蒙陰県蒙陰鎮趙峪で、薛玉軍さん夫婦と一緒に連行され、蒙陰留置場に閉じ込められた。4月には臨沂市洗脳班に不法拘禁されて迫害された。また蒙陰県留置場まで移送され不法に拘禁された。2004年12月、蒙陰県の「610弁公室」、蒙陰県の裁判所は、呂震さんに濡れ衣を着せて11年の判決を下し、不法に山東刑務所に拘禁した。 

 呂震さんは山東省刑務所で厳重に管理されて迫害された。最後には、山東刑務所で無残にも迫害により死亡した。享年33歳の若さだった。 

 私達は法輪功修煉者・呂震さんの本当の死因を調査することを強く呼びかけ、虐殺を制止して、凶悪犯を処罰する。 

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2009年7月7日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/7/3/203887.html