日本明慧
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真心と正念で同修を助ける

(明慧日本)2003 年のある日、私は夫と同修とで1人の同僚にある店で真相について話していました。私は同僚に真相を伝え、法輪大法のすばらしさに言及した時、その同修は意外にも中国共産党の「うそ」をそっくり繰り返して言ったので、私はとても不思議に思いました。 かつて煉功点を創立した頃、私はこの同修と一緒に活動していました。彼女は最近ちょうど「転向斑」から戻ってきたばかりだったので、私たちは彼女と直ぐに連絡しませんでした。私が「法輪大法はすばらしい!」と言った時、彼女はまた共産党の虚言を繰り返して言いました。夫は側で口を挟み、「あなたが良いと言うから良いに決まっている」と言い、私は(大法は)元々良いのだとつけ加えて言いました。

  そうすると、この同修はくるりと向きを変えて「買い物に行く」と言い出して、その場から去りました。私がしっかりとその後に付いて行くと、彼女は、「あなたはどうして付いて来るのですか」と聞くので、私は、「私も何か買いに行こうかな」と答えました。彼女と交流したい一心でそう言いました。私はこのようにして彼女がどこまで行っても私は付いていき、何か買い物をしたりして、きっかけを見つけ、彼女にどうしてあのような事を言うのかと聞きました。とうとう彼女は、心の中で良いと思っていることは人の前では良くないと言うのが「智慧」だと言いました。私は問題の深刻さを意識しました。彼女はすでに(法を)見失ったものの、偽りの理で自分が正しいと思い込んでいるのでした。

  私はとても悲しくて辛くなり、どうしてこのようになったのかと思いました。師父は『精進要旨』の「退職した後に修煉する」の中で、「もし、一般の常人ならば、私はこれ以上何も言いませんし、その人の好きなようにさせますが、この人たちには見込みがあるのです」とおっしゃいました。私は彼女を大法に立ち返らせようと決心しました。決して彼女を邪悪の側に付かせることはできません。実際には、私たち2人は以前から事を行う時いつも認識の違いから生じた言い争いがありました。しかし出発点はすべて法の上にあるため、法を学ぶことによっていずれも容易に解決することができました。

  ところが今回はかなり違っていて、彼女はすでに法の中にいなくなっているのです。切羽詰まって、私は彼女に私情を排除し、また彼女の心に触れるような例を挙げて話しました。私は「元々あなたは良い人で、ある人々があなたを囲んであなたが『ぼろ靴』(淫らな女を指す)と言ったならば、あなたはどう思いますか。彼らは真相を知らなくても当然かもしれませんが、しかしこの時あなたの息子が現れて、自分の母は良い人であることを心底知っていながら、みんなの前で、私の母は『ぼろ靴』ですと言うならば、あなたはどう思いますか。家に帰ってあなたはきっと息子にビンタを食らわすに違いありません。家に帰ってゆっくり考えて見ましょう」と言いました。

  2日後、私は1枚のサラサを持って、子供の服を作ってもらうことを口実に彼女の家へ行きました。その時私の娘にもうすぐ子供が産まれるので、彼女に手伝ってもらったり、(・・を)教えてもらったりすることは、彼女にとって嬉しいことで、家の人(当時、家族は私たちが真相を伝えて回ることに、強く反対した)も隣近所も何も言うことができません。私たちは日常のありふれた話だけをしたので、彼女は私を排斥しなくなり、前回に比べて親しくなったような気がしました。私達はお互いに近づくことによって初めて交流することができることをよく知っています。

  私は時間をきちんと段取りし、数日後私はそのサラサ生地を持って彼女の家に行きました。私は真心で接し、情勢を見ながら事を進め、大法に関する事を一言二言挟むように話しました。こうして交流する中で、彼女はいつも邪悪に手伝って同修を転向させる1人のかつての同修のことに言及し、しかもまだ互いに良く行き来しているというのです。私は善意から彼女に、「その人は邪悪に手伝って大法弟子を迫害しているから、つき合うことを止めた方が良い」と忠告しました。

  ある同修は、あまり彼女の家に行かないように、さもなければ彼女に引き込まれてしまうからと助言してくれましたが、私は「誰も私を動かすことはできない」と言いました。また何日か過ぎて、私はまた、その生地を持って彼女の家に行き(その生地はまだ裁断されていない)、気軽に彼女の7〜8カ月ぐらいの孫を抱いたり、大法の事や日常のありふれた話をしたりしたので、私たちはずいぶん溶け合うようになりました。私は時機が熟していることを見て、1册の『2003年旧正月15日米国西部法会での説法』 を彼女にわたしました。彼女は受け取ったので、心の中では口に出せない喜びを感じました。私が帰る時、彼女は気をつけるようにと言いました。その時私の心はすごく楽になりました。

  幾日か過ぎて、また次々とその他の同修も彼女に接触しに行ったので、ついに、この同修は正道に立ち返りました。それ以来、法を実証し、真相を伝える中で、この同修は大量に三退を勧めることや宣伝ビラを配布すること等を行っており、私自身ですら恥ずかしくなるぐらいずっと良く行っています。私が彼女を知らず知らずのうちに感化することによって、彼女を正道に立ち返らせたことは私にとって永遠の喜びです。彼女にはこれらを永遠に感じられないかも知れないのですが、すべてがとても自然に運び、これは師父が私に智慧と力を与えてくださったからです。師父の法が同修を救ったのです。

  ここで私は心からの誠意と熱心さで私を助け励ましてくれた同修にも感謝します。最近の私は病業の関の中で正しく歩むことができなかったため、2人の協調人は私に法を学ぶ環境を手配することを手伝ってくれました、心からの励ましと、私を支持し、指摘してくれることによって、私の多くの歪んだ執着を取り除かせてくれました。彼女たちが出した情報、態度や言葉の一つ一つが私に自信と力を与えてくれ、そして私を誤った道から次第に回帰させ、正道に完全に立ち返らせてくれました。

  私は、誰かを助け、救い済度しようとする時には、その人の思想上の圧力を軽減することが、より効果的であると体得しました。

  これらは自分なりに悟ったことです。師父に心から御礼申し上げます。

 同修たち、ありがとうございます。

  2009年7月8日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/4/203923.html