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根本的な執着を探し当てた


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)ここ数年来、私の修煉と生活環境は大きく改善されました。これは正法時期の修煉の進展に関係があるほかに、私自身の状態にも関わっています。自分の状態が改善されたことの主な原因は、数年前に、私は自分の恐ろしい根本的な執着を探し当てたからです。

 表面からみると、私は大法に対する信念は言うまでもなく持っています。常人社会の中での自分の前途に対してや親戚からのプレッシャー、邪悪の気が狂った迫害、人々の理解が得られないにもかかわらず、私は大法を堅く信じ続けてきました。だから、表面上はとても精進しているように見えます。学法と言えば、法を勉強し、法を読み、迫害が発生してからの師父の説法を書き写して理解を深めるようにしました。発正念の方面では、4回の正時の発正念はひとつ不足があるのですが、普段はほかの時間にもよく発していました。

真相を伝えることについては、プレッシャーを受けながらも千人余りの人に真相を伝えたので、同修は私をよい手本として見ています。表面上は立派なことですが、しかし、私の心の内には人に言えない苦しさがありました。これに対して私は内に向かって探し、自分の執着心を探し当てて、自分が法に則っていない部分を暴露しました。こうして私は前より少し良くなりましたが、なんとなく重い気持ちがあって、根本的にこの状態を打破することができませんでした。学法は心静かに進まず、真相を伝えるのにも形式に留まり、発正念には威力がありません。煉功することも気が進まない状態でした。苦しいですが、どこが悪いか分かりません。なぜこうなったのでしょうか? 悲観的な情緒さえ生じてきて、さらに大法に対する信念も動揺しました。甚だしきに至っては、常人社会の中に自分をよく按排して、若い頃失った名、利、情を少しでも取り戻そうとしました。

 この肝心な時に来て、不意に明慧ネットの文章『根本的な執着を放下するのを再び論ずる』を読みました。突然、私も自分の根本的な執着心を探さなければならないと思いました。そこで、私は順序立てて大法への入門当時のことから考えました。すると急に大きな成果がありました。それは表面から見ると私は病気のために大法に入門したというわけではないのですが、しかし心の中に大法を利用して地位を求める心がありました。私は一般庶民の家庭出身であるため、ずっと常人の中で大きい事業を興すという抱負を持っていました。そうすれば家族の名望も集められるし、ひいては社会に貢献できるかもしれないと思いました。しかし、現実社会では腐敗が遍く蔓延っているので、能力や理想、抱負を持った若者がなかなか出世することができません。最初、大法の本を読んだ時、これは普通の本ではない、師父は佛様ですので、潜在意識の中に自分が救われるのだという一つの希望がありました。それは佛法と佛様のご加護を利用して、自分の人生の目標を実現するということでした。基点は普通の人ではなく、常人の中で大物、権利を持つ上流になりたかったのです。振り返ってみると、この基点はどれだけ危険だったかが分かりました。

 その後、学法を通じて大法への理解も深まりましたので、自分自身の修煉をしようと思ったのですが、根本的に入門時の目的を取り除いていませんでした。迫害が発生してからは、私は人としての名利を失いました。表面上は、生死のことを放下しましたが、その後さらなる私心が生じました。それは常人の中の上流に満足せず、さらに佛になりたいということです。この考えは表面上は修煉に符合していて、あまり気が付きにくいのですが、実際には隠蔽している執着なのです。もちろん、佛になりたいことは間違いではありませんが、しかし佛と言えばどんな状態でしょうか? 佛様にはどうすればなれますか? 「しかし正真正銘の佛は宇宙の保護者であり、宇宙の全ての正の要素に責任を負うのです」(『米国西部法会での説法』) 佛は完全に他人のため、宇宙の真理のためであれば自分のすべてを捨てても構わない、自分のための心がちっともないことです。しかし、私の世間の一切を喜捨する目的は、自分が佛になることで、自分が佛の果位をもらいたいということです。人間のものはいらないものの、天上のものを欲しがる、さらに自分にとって最も良いことを選びたい。これはどれだけ欲張りでしょうか。

 私はこれらのことが分かってから、全身熱く感じ、この文章をを書き出した時、自分も大法の中に昇華し、心も今までにない軽快感が出てきて、良い考えがどんどん湧いてきました。そこで、私は仕事を失ってから遭ったすべての原因が分かりました。なぜずっと旧勢力のいろいろな経済的迫害から脱出できないのか、商売をしても赤字、就職してもよい仕事が当たらず、やっと働いても給与は遅延されます。塾を開いても生徒をたくさん集められない、農業をしても儲からない、まともな仕事には一回も就けませんでした。かえって、いろいろマルチ商法、直接販売、保険などは次から次へと私にやってきました。私は狙われた人材となり、保険会社の社長や、直接販売の会長などが自ら車に乗って来て、一緒にやって儲けようと誘いに来ました。私はこれらの仕事は大法に背いていると思ったため、すべて拒否しましたが、やはり自分の貴重な時間を無駄にしました。私は根本的な執着を探し当てたので、やっと分かりました。このすべては自分の心が正しくないために招致したトラブルです。私はこれだけの大きい私心を自分の空間場に隠していて、旧勢力と各種の邪悪の要素にどれほど迫害の口実を与えたでしょうか。これほどの漏れがあれば、如何にして旧勢力の私に対する迫害を否定することができるのでしょうか? もっと早く分かれば、どれだけ必要以上の魔難を受けなくて済んだのでしょうか。

 このことにより、私は再度、自分自身に次のことを銘記しました。「大法の修煉は厳粛で、強烈な人心を持って放さなければ危険です。必ず放下しなければならないものです。いかなる人心も天国に持っては行けないからです」

2009年7月9日


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/6/23/203215.html