日本明慧
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内へ向かって探すことは本当に素晴らしい


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)私は1997年に修煉を始めた古い大法弟子です、師父の慈悲なる済度に感謝します。修煉を始める前、身体は病気だらけで、法を学んで1年後病気は全部治り、本当に病気のない身体の感覚を味わいました。師父が私のために行なってくださったすべてのことに感謝しきれません。師父が要求された三つのことをしっかりと行うことだけが師父に申し訳が立つのです。

 これから自分が問題に直面して内へ向かって探したことを書き出して、皆さんとともに学びたいと思います

 中秋節の午後4時、息子の嫁が外から戻ってきました。その時私はちょうど法を学んでいました。普通は午前に真相を伝え、午後と夜は法を学びます。今日は祝日で、ご飯は出来上がっているので、法を学んでから準備しても遅くないと思いました。息子の嫁は私が何もしないのを見て、元気がなくなり「正月や祭日を祝うためにみんなテーブルに置けないぐらいたくさん料理を作るけれども、私たちは普通と同じで祭日を過ごす気分はない」と言いました。

これを聞いてすぐに鋭敏に感じ、内へ向かって探しました。自分になにか良くない心があるのではないか? 以前このようなことが起きたとき内へ向かって探して耐えることができましたが、何か納得がいかないと感じました。今日、無条件で内へ向かって探すことにしました、必ず原因を突き止め心の底から取り除き、捨てようと思いました。細かく鋭く探して、やっと私心を見つけました。

法に従っているようですが、実際は他人のことを考えず自分のことしか考えておらず、恐れる心もあり、あれこれ心配する人心もあり、たくさんの良くない心を見つけました。これらの人心を取り除こう、必ず見逃さず、必ず法に従っていない心を全部取り除こうと思いました。こう考えた途端、心がとても軽く感じ、息子の嫁もすぐに嬉しそうに、お母さん! と呼びながら、私を手伝い始めました、何もなかったかのようでした。

 2007年7月のある日、雨の中をある住宅ビルに真相資料を配りに行きました。上の階を配り終え、下に行こうとしたとき、不注意に足を踏み外して、90キロの身体が片方にバランスを崩し、足を捻りました。足がすぐに腫れて、とても痛くなりました。これは邪悪が妨害していると気づき、我慢しながら壁を押しながら立ちました。邪悪がどんな手段を使っても、私は絶対に資料を配り終えると決心しました。足が痛くて上の階に行けず、一軒屋を回り資料が無くなるまで配り、痛みに堪えながら家に帰りました。家に着いた途端、ベッドに横たわり、足がこんなになったので、4、5日家でよく休もうと思いました。

このとき、突然この考えが間違っていると気づき、「これは私の考えではない、これを病気と思っているのではないか? この考えは自分が常人の次元に落ちたのではないか? 私は大法弟子だ、邪悪の迫害は私に作用しない」と思いました。すぐに内へ向かって探しました。衆生を救い済度することを旧勢力は妨害できないのです、必ず自分の心が旧勢力に隙を突かれたと思いました。考えてみると、自分には任務を完了するという強い心があったのです。

資料を手にすれば急いで配り終えたい、早く任務を達成したいと強く思い、完全に慈悲ではなく、衆生を救い済度するという神の状態ではなかったのです。私たちは執着心を取り除いて、人から神へと歩むことができます、完全に他人のために考え、修煉は自分の圓満のためではなく、衆生を救い済度することなのです。法理に基づいて見分けることができたので、発正念を強化し、自分の空間場の邪悪を解体しようと努めました。6日目に、外で真相を伝え、三つのことをすることができ、12日目には足が完全に治りました。危ないところでした、もし内へ向かって探さず、常人の念を動かしたなら、どのぐらいの衆生を救い済度する時間が無駄になったでしょうか?

 今日、内へ向かって探すことは心性を向上させる宝物だと深く理解しました。内へ向かって探して次元が向上した後に、とても素晴らしいと体感することができました。内へ向かって探すことは通り一遍のことで済ますことではなく、軽々に口にすればよいことではありません。法を師と見て、厳しく心性の向上を求めるべきで、また着実に法を学ぶことです。迫害が始まって以来、毎日1講を学び、4回の発正念以外に時間があればたくさん発正念し、ある時は少なくとも8回、9回、11回とできたとき、三つの事をすることは整然としていました。

 まだたくさん書きたいところですが、私が行なっていることは師父が要求されたことに比べると、まだほど遠いのです。皆さん、早く内へ向かって探し、急いでもっとたくさんの衆生を救い済度してください。私はもともと文字が読めませんでしたが、修煉して1年後やっと『転法輪』を全部読めるようになりました。これを早く書いてみんなと交流したいと思っていました。けれどもいつも文章を書けないという考えが障害になり、今日になって勇気を出して書くことができました。長年修煉してきたことの師父への報告でもあります。師父!ご安心ください、弟子は必ず勇猛邁進して、圓満して師父と帰ります。

2009年7月10日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/4/203937.html