日本明慧
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大法弟子になって、とても幸せです


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)同修から次のようなことを聞きました。最近、ある年配の同修が病業の関に遭いました。ある日のお昼、彼女の家を賃貸している若者(常人)が彼女にスイカを持ってきました。庭に入ると、彼女がちょうどベッドの上で、座禅をして正念を発しているのが見えました。また、彼女の後ろにももう1人座っていました。その人は、若者が数日前に彼女の家のテレビで見た人とそっくりでした。実は数日前、同修たちが彼女の家で師父の説法ビデオを見ていましたが、その時、若者が訪れて、「この人があなたたちの李洪志師父ですか?」と質問したのでした。

 弟子が魔難に遭ったとき、師父は常に弟子の身近で見守っていらっしゃいます。大法の師父の弟子になって本当に幸せです。ある日、私はその同修の家を訪れた時、ちょうどその若者に会いました。私はついでに、彼に上記の件について確認しましたが、間違いなくそうだということでした。私たち大法弟子はみな、ただ真心で修煉すれば、師父は常に私たちを見守ってくださると若者に伝えました。彼は私の話を聞いてから「なるほど、だからあなたたちはこうして毎日煉功するのですね、ほんとうに不思議ですね」と言ってくれました。

 2005年のことですが、私は同修と一緒に田舎に行き、真相を伝えたとき、警官に強制連行されました。私はずっと、郷の書記と派出所の所長に真相を伝えました。彼らはすでに上に報告済で、しばらく経つと公安局の人が来ると言っていました。私は同修たちが監禁されている部屋に行きました。部屋の外には十数人の郷の幹部らが立っていて、部屋の入口には2人の若者が警備していました。

数人の田舎の同修は、こういう状況に出会ったことがありませんでした。私は部屋に入って、同修たちに「みな座って正念を発しましょう。旧勢力の按排を認めてはならず、今日中に必ず家に帰らないといけません」と話しました。話が終った途端、私は頭の中に、「もうここを離れるべきだ」という4文字(中国語で表すと4文字)が浮かんできたので、すぐ入口に向かいました。

入口で警備していた2人はそこに固定されているようで、少しの反応もありませんでした。部屋の外に出ると、数十人の郷の幹部らがただ自分たちの話に夢中になっていて、如何なる反応もありませんでした。私は怖がらず、焦らず庭に向かい、正門に向かって歩きました。私が街に出て100メートルくらい歩いたとき、後ろから「西に向かって走った、早く追いかけろ」という叫び声が聞こえてきました。私はあっという間に夜の闇の中に身を隠しました。もし、師父の慈悲なるご加護がなければ、彼らを固定することができたでしょうか? 私は邪悪の目の前から脱出することができたでしょうか? 自分が修煉してきた10数年間を振り返ってみると、常に師父の慈悲なるご加護の下で修煉してきました。

 慈悲なる師父は私たちに「実は修煉さえすれば、私はあなたの身近にいます。修煉さえすれば、私はあなたに最後まで責任を持つことができ、しかも私は時々刻々皆さんを見守っています」(『ニューヨークでの説法』) しかし、関を乗り越えにくいとき、邪悪の迫害に直面したとき、私たちは師父が私たちの身近にいらっしゃると思ったことが何回あるでしょうか? しかも、師父は常に私たちを保護しておられます。真に100%師父を信じ、大法を信じるならば、まだ乗り越えられない関と難があるでしょうか?

 師父の佛恩は広々としており、弟子に対する慈悲は計り知れません。師父は弟子を救い済度するために、心を尽くされました。しかし私たちは弟子として、またどうように行なったというのでしょうか? 師父の要求と法の基準とは相当かけ離れています。精進、精進、また精進して、やっと法を実証し、衆生を救い済度する歴史的使命を全うすることができます。しかし、それはただ師父が弟子たちに与えてくださったほんの少しでしかありません。師父の慈悲なる大きな期待、そして衆生の期待に背かないようにしましょう。

2009年7月10日


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/7/204112.html