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改めて修煉し直し、自分で自分を妨害しない


文/中国漢中(湖北省)の大法弟子

(明慧日本)邪悪が大量に解体されるにつれて、精進しなくなっていた多くの同修は最近、改めて修煉し始めました。私は2006年から改めて修煉し始めたため、一から修煉をやり直すその難しさを真に実感しました。今日、私は自分の教訓と経験を書いて、同修を励まし、悲観しないようにと忠告したいのです。なぜなら、改めて修煉する最大の妨害は自分ですから。「自分はどの方面もだめ」、「再び修煉するにはもう間に合わない」、「一から修煉し直しても高い次元に達せない」などの考えは自分を妨害しているのです。難はすべて自分が作ったもので、私達は倍に努力することしかできません。

 私は1996年5月13日に法輪大法を修煉し始めました。個人の修煉では、非常に精進しており、迫害される前は、大きな難が起こり、そして数年後には迫害はお終いになると悟りました。道理から言えば、私は精進できなくなるはずはなかったのですが、迫害される前、私は「独修」の状態でした。迫害が始まってからは、精進する気を緩め、正法時期の大法弟子の責任を忘れてしまいました。遂に、2001年ごろ、知らぬまに学法や煉功を停止していました。常人の中に入れば、常人になるはずです。心性は堕ちに堕ちて、ついに2005年のある日、会社同僚の誘いに応じて、風俗店に行きました。その後、何度も行き、心性は徹底的に堕ちてしまいました。

 2006年5月13日、師父の誕生日に、私は自分が大法弟子だということをやっと思い出し、修煉に戻りました。しかし、一からやり直すのは簡単なことではなく、この数年間だけでも、作った業力はすでに十分大きいもので、ついて行けなくてやり残した「宿題」も多く、難は非常に大きいのです。さらに、一から修煉をやり直すのは間に合わない、高い次元には到達できないと思いました。最初は、自分はどの方面もだめで、手のつけようがなく、毎日絶望状態で、全身が寒く、心が灰のようで、絶望の淵に居ました。しかし、師父は、このことが終わっていない限り、チャンスであるとおっしゃいました。最後に、私は法の勉強から着手し、多くの法を勉強し始めました。私には毎日多くの時間がありますが、家族の妨害で、いつも夜になって、皆が寝始めてから法を勉強しなければなりません。普段は朝4時まで、時々6時まで学法しています。法を大量勉強し、正念を多く発し、チラシを配り、真相を伝え、数ヶ月後、自分の心性がだいぶ高まったと感じ、難も小さくなりました。以前のことは自分がやったことではなく、夢の中でのことのように感じました。

 改めて修煉し始めてから、私は半分悟りを開いた状態でした。最初は、地獄におり、自分の地獄にいた時の姿が凄く醜く、顔がでこぼこで、表情がなく、あちこち大法を探していました。結局、龍華寺というところで大法を見つけましたが、大法弟子が皆いなくなり、探し続けなければなりませんでした。路上で、墓地の底から多くの幽霊も出てきて、私の後ろについて大法を探しました。私は時々悪事を働き、時々他人に追いかけられて殺されそうになりました。長期間大法を探しても見つからなかったため、私はがっがりしました(実は、その時私の肉体は地上で修煉中でした)。ある日、同じく追いかけられましたが、私は避けず、逃げもせず、「こんなふうに落ちぶれはて、幽霊さえ私を虐め、追いかけて来て殺そうとするのなら、殺された方がましだ」と思いました。その時、目の前に水田が現れ、私はすぐに頭を下にして飛び込んで溺死しました。それで、地獄の中の事は終わりました。その地獄の事は大体2ヶ月間経験しました。

 それから、地上での修煉が始まり、1週目は自分の他の空間の身体は一つの都市のような大きさで、2週目は陝南地区の大きさでした。この時、正念を発する力が強くなり、非常に大きな黒いものであっても1、2秒ぐらいですぐに消えました。3週目になって、湖北省にいても、河南省を直接見ることができるようになりました。2006年7月、師父が透明な大きい手で地球を握り、地球を保護するようにされたことが、私に見えました。その後、私の天目は閉じられました。

 2007年7、8月のある日、私は座禅していた時、自分の身体に隙間がないほど数え切れない歯車があり、うろこのように並んでいるのが見えました。それを拡大して見ると、みんな卍符でした。全身に満ちていました。見ている時に、また一つ飛んできて、他の卍符が互いに詰めて場所を譲り、再び列に並びました。その時、また一つの卍符が飛んできて、列に並んだ途端に、また一つ飛んできました。卍符はほとんど立っており、光っていました。

 卍符がどういう意味なのか誰もが知っているでしょう。私はとても驚きました。改めて修煉してからたった1年なのに、あんなに多くの卍符があったのです! これは確かな事実です。その後、また何度も見えました。数がもっと多く、もっとはっきりと見えました。これは、師父が私を励まして下さっていることで、私は自信を持たなければいけません。もちろん、その間、私は三つのことをしっかり行っていました。

 ここまでにしましょう。この文を書き出した目的は、改めて修煉に入った同修に忠告するためです。しっかり修煉し、三つのことをきちんとやり、個人の修煉も緩めない限り、三界を出たら、功の伸びがますます速くなります。さらに、功の伸びは一念の間に成し遂げます。改めて修煉する同修よ、自信を持って、がっかりしないように、自分を妨害しないように頑張りましょう。修煉の道は自分が歩まなければならず、難はすべて自分が作ったもので、私達は倍に努力することしかできません。

2009年7月11日


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/7/9/204225.html