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山東省:呂震さんは滅多打ちされて死亡(写真)

(明慧日本)2009年6月22日明け方、11年の不法な懲役刑で服役中の山東省の法輪功修煉者・呂震さんは、山東省の刑務所で迫害されて死亡した。数年来にわたって受けたさまざまな迫害と遺体に残された青紫色の傷跡により、家族は刑務所側の正常な死亡と言う説明を信じることができず、死体の検査を要求した。6月30日午前に検査結果が出て、呂震さんは滅多打ちされて死亡したことが明らかになった。

学生時代の呂震さん

検査によると、呂震さんの胸腔には血液が貯まり、また臀部と太ももの後部に、皮膚表面に傷はないが、その下の筋肉部分が潰されていた。修煉者が受けたいろいろな拷問から考えると、これはゴム棒で何回も打たれた結果、内部の筋肉が潰れたとみられる。

 法律の手順によると、死体検査を受理するのは済南市城郊検察院の刑務所にある監察室であり、死体検査の法医学者も警察院から指名される。ここで、国内の正義ある人々や国際社会に、今回の死体検査の結果に注目するよう呼びかける。そして、更なる手がかりを提供し、事件の真相を解明し、虐殺、迫害を制止し、殺人犯を法に基づいて裁くよう期待する!

 呂震さん(1976年7月25生まれ、男性)は山東省蒙陰県蒙陰郡西儒来村の住民である。重慶大学に在学中、法輪功を修煉し始め、「真・善・忍」に従って自分を律し、重慶大学の国際金融科の優秀な学生だった。2000年5月、4年生の呂震さんは法律により正当に上京し陳情したが、学校側から退学処分となった。2000年6月、再度上京した際に、重慶の西山労働教養所に連行されて、不法に1年間強制労働を科された。

同時に、重慶大学当局は呂震さんの学士証書を撤収した。西山労働教養所内で、呂震さんは警官に拷問を加えられ、頭と腕に深い傷跡が残った。釈放された後に、学校側は呂震さんを蒙陰の実家に送り、戸籍を重慶から転出させた。しかし、蒙陰側は呂さんの戸籍を受け入れず、呂さんをどこでも転入できない立場にさせた。
 
 2004年3月、呂震さんは蒙陰郡に連行されて、4月に不法に臨沂市洗脳班に監禁された。次に蒙陰県留置場に移送され迫害を受けた。2004年12月、不法に11年の懲役を言い渡され、山東省の刑務所に監禁された。その間、ひっきりなしに悪辣な警官に迫害されたという。2009年6月22日、家族は呂震さんが心因性の病気で急死したと刑務所から知らされた。呂震さんは33歳の若さで、また家族にも心臓病の死者はないにもかかわらず、心因性の急死だと誤魔化された。少し前に、臨沂と蒙陰の「610弁公室」は一度呂震さんの精神に異常があると言ったが、家族は呂震さんのいかなる健康状況の知らせも受けたことはない。しかし、突然に死亡の知らせが届いた。


2009年7月12日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/11/204374.html