日本明慧
■印刷版   

夢の中で見た淘汰の光景


文/長城

(明慧日本)私の記憶では2006年の出来事でした。私は書くつもりはなかったのですが、同修たちは淘汰の光景を書けば、修煉に精進していない同修を目覚めさせることが出来、全体の昇華に繋がるので書くべきだと言われました。

  その当時の私は今日のように実修の中で精進していませんでした。師父が教えてくださいました「三つのこと」についてもよく出来ていませんでした。そして、情の中に陥り、なかなか抜け出すことが出来ませんでしたが、このような私でも師父は見放さず面倒を見てくださいました。私は師父とお会いしたことはないのですが、夢の中で見たことを文章に書いて同修と分かち合いたいと思います。

  ある晩夢の中で映画を見るために映画館に向かいました。多くの人は街の大通りを歩いていました。突然南東の方向から空を覆い隠すような黒い雲が人の群れに向かって突進してきたのです。その雲の暗黒さは以前に灯油ランプをつけていたときの暗さで、尾が付いているものもいました。瞬く間に人に近づき、近づかれた人は皆バタバタと倒れて死んでしまい、周りに死体が散乱し、残された人はわずか数人でした。

  その光景を見た私は恐れを感じ、恐れたのは自分が真面目に修煉していなかったので、師父が私の面倒を見てくださるかどうかにありました。恐怖のあまり思わず暗記した『論語』を暗唱し始めました。そして、どこから来たのか分かりませんが、沢山の小さな鬼が手に持っていた鉄製の鍵を死体の頭に引っ掛けてどこかへ引きずって行きました。地獄に向かったようでした。

  私は恐怖のあまり立ちすくみ、『論語』を暗唱するのも忘れてしまいました。このとき鬼が私に近寄り「このことはあなたには関係がないので、ここから立ち去りなさい」と言ったのです。そして、私はその場を離れ別の場所に立ち止り振り返って見ますと、テレビで見たことのある緑色をした怪物がいました。その怪物は私を食べようと追いかけ、私は逃げ切れないと思い、怪物と戦い始めました。私は飛べたのですが、その怪物は私より強かったのです。

  私は逃げ始め、その怪物も追いかけてきました。最後に洞窟の中に逃げ込んだのですが、やはり怪物に捕らえられたのです。その怪物が私を殺そうとしたとき、私は師父のことを思い出しました。そして、試して見ようという心理状態で「師父! 助けてください」と叫びましたが、師父は何もしてくださらなかったのです。このとき怪物は満足そうな表情を見せ、私にかかってきました。もうこれで最後だと思い心の奥底で「師父! 助けてください、これから師父がおっしゃいましたように修煉します。精進します。弟子になります」と叫びました。その時、瞬間に師父が私を抱き上げられたのです。怪物はこのとき恐竜に化けもっと強くなったように見え、もう一匹増えたのです。

  それから師父が私に多種類の効能を与えてくださり、師父に指示され私はその二匹の怪獣と戦い始めました。あまり時間がかからなかったのですが、師父が手助けしてくださいましたので、その二匹の怪獣を消滅しました。私は師父が助けてくださったことに感謝を申し上げると共に、膝まずいて泣きながら師父に誓いました。「師父に誓います! これからは必ず真面目に修煉します」

  私が目が覚めた時枕は涙で濡れていました。そして、自分が今まで行ってきたことについて思い返しましたが、多くのことは常人にも及ばなかったのです。情に対す執着を放下できず、大法に泥を塗り大法弟子と呼ばれる資格がないのです。私は泣きながら師父に申し上げました。「私はこんなに意気地がないのに、それでも師父は面倒を見てくださるのですね!」 私には分かります。それは師父が広大な慈悲であったからこそ、夢の中で私を悟らせて下さったのです。

  師父は言われました。「修めることは自身のことで、代われる人はなく、師となる人は表面ではただ、その法理を教えるだけです。 心を修め、欲を断ち、智慧を明らかにして惑わないようにするのは、自らが負うべきことなのです。 興味のために来るのは、心が必ずしっかりしていないのであって、世俗に入れば、きっとその根本を忘れてしまいます。 その念を固く守らなければ、一生、得ることはありません。いつまた機縁が結ばれるか分からず、難しいことです!」(『精進要旨一』「堅定」)  師父の法理も分かり、夢の中で見たその日から真の修煉者になり精進し始めたのです。

  二度目は2009年4月24日の夜に人を淘汰したときの夢を見ました。今回の淘汰は私の親戚で義理の叔父達のようでした。私には義理の叔父(母の姉妹の夫)が4人いて、皆は死ぬのが分かっていたようで、死ぬ前に死人のために燃やす黄色い紙をパクパクと食べていました。(翻訳者注:死人があの世で使う金として、この世の人が黄色い紙を毎年燃やす)その黄色い紙は脆くちょっと触ると砕けてしまうのです。叔父たちは仕方が無いような表情で急いで紙を食べ続けていました。私は叔父たちにどういうことなのかと訪ねましたが、何も教えてくれませんでした。

  この後既に亡くなった父親が現われ「ここでは伝染病が流行し家族ごとに死亡している」と話しました。夢の中でも父親が亡くなっているのが分かっていました。私は父親と周りの人々に呼び掛けました。「法輪大法が素晴らしい、『真・善・忍』が素晴らしい」と念じれば必ず助かると教えたのですが、誰一人信じようとしませんでした。彼らの表情はこの世には神仏が存在していないのです。だから自分たちを助けられるものはおらず、これらのことは自然現象だと読み取っていたのです。私は悲しくなり焦っていました。空の混沌とした雲もとてもしようがない人達だなと沈痛な表情をしていました。そして私は「法輪大法が素晴らしい、『真・善・忍』が素晴らしい」と叫び、師父にこの人達を救って上げてくださいと願いを込めて叫びました。

  続いて一人の若い女性が現われ、背が低く数十センチの小人だったのです。その女性は女の子を抱いていました。たき火の横に座り仕方のない表情をしていました。私は「法輪大法が素晴らしい、『真・善・忍』が素晴らしい」と念じるよう声をかけ、貴女が念じれば私たちの師父が必ず助けてくださると念を押しましたが、若い女性は「こんなに人々が死んでいるのに、ただ念じるだけで助かるはずがないでしよう」と信じようとしませんでした。私は「あなたは信じなくでも子供を道連れにしてはならないでしょう! あなたが奇跡を信じなければ、奇跡は起きるはずがないではありませんか?」と若い女性を説得しました。そして、私は心の底から人々に目覚めさせようと思い「法輪大法が素晴らしい、『真・善・忍』が素晴らしい」と叫び続けました。

  私の心使いは無駄ではなかったのです。奇跡が起きました! その女の子が私と同じように叫び始め、抱かれていた母親の胸から飛び出したのです。驚いたその子の母親も一緒になって叫び始めたではありませんか、このように3人が周りの人々に分かってほしい一心で叫び続けました。

  このとき私は夢の中から自分を呼び戻したのです。私の心の中は焦って哀しくなり、残された時間は少なく、人々を救い済度する事を非常に難しく感じました。しかし、難しいからといって人々を済度することを止める訳にはいきません。師父は言われたではありませんか!「大法弟子はここで、法を実証し、法を守り、同時に自分も修煉しているのです。その責任は重いものです。しかも、ここの衆生をも救い済度しなければならず、この責任も大法弟子にとって非常に重いものです。ですから、法を正す時期の大法弟子はなおさら、普通ではありません」(『2006年カナダ説法』)

  私の修煉に於いて夢の中で師父は何時も悟らせようとしてくださいました。この度の夢の中で、人々が助けを待っていること、急いで助けなければ間に合わないと言うことを悟らせてくださいました。もう一つは衆生は同修に救い済度され、自分たちの真の家に帰れるよう私たちに期待しているということを悟らせてくださっているのかもしれません。

  2009年7月17日


(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/6/4/202192.html