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張素芹さんが万家労働教養所で受けた迫害

(明慧日本)黒龍江省阿城の郊外三隊に住む張素芹さんは、現在、ハルピン市でアルバイトをしている。彼女は、万家労働教養所で自らが受けた迫害について、次のように述べた。

  2005年12月5日、私は鋼鉄街で人に法輪功の真相を伝えていましたが、法輪功の真相を知らない人に通報され、道里区の派出所の警官により、道里区第2留置場に連行されました。2006年7月6日に不法に2年の労働教養を科され、万家労働教養所に送られたのです。

  私は、万家労働教養所に入るとすぐ、警官に信仰の放棄や「三書」を書くことを強いられました。私は書かなかったため、しゃがむ姿勢を続けるよう強いられました。それに従わなかった私を、隊長の呉洪勳は足で胸を蹴りました。言葉を出せなくなった私は、警官に牢屋に引きずられて行きました。両腕を背中に回して、足が地面につかない姿勢で吊り上げられました。暴力で拷問された私は、「三書」を書かなければなりませんでした。

  その後、私の健康は日毎に悪くなり、医者に重い心臓病だと言われ、労働教養所で奴隷なような労働もできなくなりました。しかし、呉洪勳に野菜室で労働させられました。私は、とても我慢できないとき、野菜室の地面に横になるしかありませんでした。警官らは、私にその労働はとても無理だと分かって、私に薬を飲むことや注射を強要しました。しかし、「救心」という薬を十数日飲んでも、点滴を受けても効きませんでした。それでも、このような身体の状態で警官に畑仕事を強いられました。

  2008年9月20日、私は、じゃがいもを掘ることを強要され、あまりの疲労で心臓病が発症し、倒れてしまいました。警官は怖くなって、医者を呼びました。医者は警官に「誰が彼女を畑で労働させたのか」と怒っていました。

  2007年1月8日(旧暦)、私は、労働教養所のルールを唱えないことと「三書」の無効を声明したことで、呉洪勳に「鉄椅子」を座らされ、1カ月以上罰せられました。この1カ月、トイレに行く時間(1日3回、1回10分間)以外、ご飯を食べるときも寝るときも「鉄椅子」に座らされたままでした。深夜になると、寒くて、眠くて、心臓も痛くて本当に苦しかったのです。1週間が過ぎると、足はパンパンに腫れてしまいました。半月後、体の動きが鈍くなり、1カ月後、心身ともに極限に達して、動けなくなりました。それで、やっと4人の同修の手を借りて「鉄椅子」から降ろされました。

  2007年4月12日、私は第3隊の警官・楊占斉と李氷に、両腕を背中に回して2段ベッドに吊り上げられ、スタンガンで腕に電気ショックを受けました。そのとき、心臓が痙攣を起し、本当に死んだほうがましだと思ったほど苦しかったのです。そして、私の労働教養期間は2カ月と7日間延長されました。

  4月16日午前、管理課の周軍は警官数人を率いて、アンケートに答えるように要求してきました。私たち法輪功修煉者は従わなかったので、吊り上げられ、スタンガンで電撃され、殴られました。関華さんは殴られ、腕の骨が折れてしまいました。警官は、関さんは両親を看病するため釈放したと私たちを欺きましたが、実際は、関さんは万家病院に送られたのです。

  1年以上迫害された私は、心身ともに致命傷を負い、労働能力を失いました。心身ともに疲れを感じ、心臓に少しの負担もかけられない状態になっっていました。2007年4月25日、私は前進労働教養所に移送されました。前進労働教養所の第1大隊で、警官は私に長時間労働をさせましたが、体が弱っている私は、とてもできませんでした。隊長の張波は2人の受刑者に指図し、私を労働現場に引き出し、警官の周木奇に私が医者のところに行かないように見張らせました。そして、再び教養期間を3日間延長されました。

  以上、私自身が受けた迫害事実です。

  2009年7月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/12/204336.html