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天津市:周向陽さんは監獄で1年以上断食して抗議を続けた(写真)

(明慧日本)法輪功修煉者・周向陽さんは2008年6月末から港北監獄で迫害に対して抗議の断食を続けて1年18日目となった。約48キロに痩せた彼は命の危険に晒されている。

周向陽さん

 周向陽さんは、元天津市鉄道第三勘測設計院工経処のエンジニアだった。修煉を放棄しないため、何度も共産党の警官らによって連行、労働教養、虐待、拷問などの迫害を受けた。1999年から、周向陽さんは天津市双口労働教養所、薊県漁山労働教養所、建新労働教養所と転々と移送され、監禁中に理不尽な迫害が続いた。さらに、刑期満了の際に裁判無しで刑期が延長されたこともあった。2003年5月31日、彼は天津市河西分局に求刑された9年の不法な判決の後、2004年8月9日に連行されて天津港北監獄に監禁された。

「灌食」の残虐な拷問のシミュレーション

 天津市港北監獄では、周向陽さんが強制的な洗脳を受けないため、警官らに口汚なく罵られ、数回酷い暴行を受けた。2005年12月23日、第5監区長・張士林と教導員の祁書海の指示で労働工場構内で法輪大法を誹謗中傷する内容を放送することになっていたのを阻止した周向陽さんは、警官と受刑者に侮辱され、集団暴行を受けた。小部屋(6〜7平米の暗室)に閉じこめられて虐待され、さらに、家族との面会も禁じられた。

 周向陽さんは冬の最も寒い凍った段階で床に足枷と手枷をつけられ約4カ月(2005年12月23日〜2006年3月21日)かけられっぱなしだった。この間、断食して抗議を続けた彼に対して、警官側は周向陽さん致死の責任を避けるため、家族の面会を禁じたほか、迅速に天津梨園頭監獄へ移送した。

 2008年6月末、港北監獄では周向陽さんとその他の法輪功修煉者を港北の「攻堅隊第9大隊」へ移送し、そこで、更に迫害をエスカレートした。周向陽さんは迫害に抗議して断食を続ける意を表した。今年4〜5月に、周向陽さんは2回新生病院に運ばれ、6月2日には再び港北監獄の病院へ移され、孟という監獄駐在医の監視を受けている。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2009年7月24日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/7/22/205028.html