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黒龍江省:孔祥柱さんが牡丹江刑務所で生前に受けた迫害(写真)

(明慧日本)黒龍江省双鴨山市の法輪功修煉者・孔祥柱さん(当時39才男性)は、牡丹江刑務所で息絶え絶えの死ぬ直前まで迫害され、2007年4月18日、刑務所に5000元をゆすられた後、家族に家まで背負われて帰り、2カ月後の6月23日に、この世を去った。

 
孔祥柱さんの死亡時の写真

牡丹江刑務所で、孔さんは「真・善・忍」の信仰を放棄しなかったため、邪悪な警官の李炎は燃えるような夏の日にバスケットボール場に孔さんを引きずり出し、熱いコンクリートの上に座らせ、「お前、座禅できるだろう? 今日は一日中座禅しろ!」と言った。

 警官はまた辛子(からし)の粉をビニール袋の中に入れて振り、孔さんの頭に被せた。孔さんはぐっとこらえ、顔は紫色に変色し、むせて鼻汁や涙が一緒くたになり、苦痛で身体をくねらせ、悲惨で見ていられなかった。

 孔さんは骨と皮ばかりにやせこけ、1本1本の肋骨が浮き出し、元あった60キロの体重が35キロにまで減少した。意識不明になるまで苦しめられても、足かせは外されなかった。

 孔さんは、黒龍江省双鴨山市の住民で、非常に貧しい家庭に生まれた。修煉前の孔さんは多くの病気を患っていた。血尿があり、いろいろな治療を受けても効果がなく、終日横になり、何もできなかった。28歳になって法輪功に出会い、修煉して身体が丈夫になり、仕事もできるようになった。

 1999年「7・20」法輪功が中国共産党に弾圧され始め、孔さんは3回北京に行って陳情し、3回とも連行された。最初は北京で1カ月間拘禁され、迫害されて危篤状態に陥ったため釈放された。2回目は黒龍江省塔河に連行され、また1カ月間拘禁されて釈放された。孔さんは塔河から沿道を歩きながら真相を伝え、500キロメートル以上歩き、双鴨山に戻った。3回目も同じく連行され、その後釈放された。

 2002年5月1日夜、法輪功真相のテレビ放送事件に参与したことを口実にして、孔さんは再び連行された。翌日、家族は孔さんが病院で緊急措置を受けていると知らせがあり、急いで病院へ駆けつけた。家族が目にした孔さんは全身傷だらけで、あちこちに青や紫のあざがあり、背中全体はスタンガンで電撃されて焼け焦げ、首も筋肉がひどく傷つけられた状態だった。

 2006年6月、孔さんは長期間迫害されたあげく、結核性脳膜炎を患い、一度意識不明になり、深刻な状態であった。7月、状態はまだ回復せず、下半身は動かせないので排泄も自分で出来ず、意識も朦朧として非常に危険な状態が続いていた。

 家族は何度も釈放を求めたが、刑務所側は無視した。最後になってやっと一時出所で釈放することを承諾したが、数カ月経っても釈放しなかった。家族の10カ月間の努力を経て、牡丹江刑務所は5000元をゆすった後、やっと孔さんを釈放した。しかし、孔さんはすでに骨と皮ばかりに痩せこけ、意識不明の状態であった。2カ月後の2007年6月23日夜10時、この世を去った。

 1999年「7.20」以来、双鴨山市で迫害されて死亡した法輪功修煉者は、名前が確認できただけで、すでに16人になる。死亡したのは(以下敬称略)呉玲霞、 劉金山、尹玲、紀松山、郭懐齢、李儒清、潘興福、劉国余、崔竜植、イ志賢、李鳳文、孔祥柱、 呉月慶、イ鳳春、善振昌、代暁玲の方々である。

  2009年7月27日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/25/205242.html