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私心を取り除き 新宇宙の神に成就する(一)


文/河北省秦皇島の大法弟子

(明慧日本)私は1995年5月に大法修煉に入った弟子です。12年の修煉過程には様々な困難と紆余曲折がありましたが、振り返って見れば、師父の慈悲なご加護があったからこそ、今日まで歩んで来られ、本当に世の中のあらゆる辛酸をなめ尽くしました。この第5回大陸大法弟子書面修煉体験交流会で、自分の修煉に対する浅はかな認識を師父に報告し、同修と交流したいと思います。適切でないところは慈悲なるご指摘をお願いします。

  10数年の修煉過程の中で、「自私」の「私(し)」というものはあらゆる悪の根源だと切実に感じました。それは影が形に添うように、ないところはありません。一切の執着、常人の心、観念など、その根源を突き詰めてみたら、「私」にほかならないのです。「私」は私の一思一念に隠れていて、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理にほかなりません。「私」を取り除かなければ修煉は進まず、自分を騙し人をも騙す空論にしかすぎません。

  ここで師父の講法を皆と一緒に復習しましょう。

  『警告の言葉』

  「わたしが大法を伝えてすでに四年経ちましたが、一部分の修煉者は心性、境地の向上がとても遅く、まだ感覚からわたしと大法を認識するに留まっていて、いつも身体の変化と功能の現れから、わたしに対して恩を感じていますが、これは常人の認識です。皆さんが人間の状態を変えようとすることなく、理性の上からも大法を真に認識するまで昇華することがなければ、皆さんは機会を失うことになるのです。皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできませんし、圓満成就できません。

  いつもわたしが皆さんのために業を消しているばかりで、皆さんが真に法に則って向上することなく、人間の認識、人間の観念から抜け出さないようではいけないのです。わたしと大法に対する皆さんの考え、認識、感謝の仕方はみな常人の考えの現れです。しかし、わたしはまさに皆さんに常人から抜けだすことを教えているのです! 理性から真に大法を認識してください。

  修煉の中で、皆さんは自らの真に着実なる向上によって、内面に巨大にして本質的な変化を生じさせているのではなく、わたしの力に頼り、外在する強大な要素を頼りにしています。これでは永遠にあなたの人間としての本質を佛性に変化させることはできません。もしも、みな一人一人が心の内から法を認識することができれば、それこそが威力無辺の法の体現——強大なる佛法のこの世における再現なのです!」

  師父の説法を学んで、私の修煉中の問題点を認識しました。常人の心で法を理解し、外に向かって追求し、外に向かって探し、得ることしか考えず、払いたくなく、全ては自らのため、私のためを根本としたものでした。師父は、「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをする時には、まずほかの人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他の人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです。それゆえに皆さんは、今後、何かを行ない、何かを口にする時にも、ほかの人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法が永遠に変らないようにするために考えなければならないのです!」(『精進要旨一』「佛性に漏れなし」)とおっしゃいました。

  旧宇宙の本性は私のためでした、ですから最後に滅亡に向かいました。しかし、新しい宇宙の特性は他のため、無私であるので循環し、永遠に不滅です。新しい宇宙に入るためには、必ず「私」を取り除いてから「無私」の大法と同化でき、新しい宇宙の神になります。これこそ我々の歩むべき修煉の道です。

  一、法を得た喜び、大法の奇跡的な現れ

  96年5月11日の日曜日、私と夫は娘を連れて公園へ遊びに行った時、法輪功修煉者がボランティアで功を教えていました。その時私は動作を学び、その晩師父の講法ビデオを見ました。3日目の夜、ビデオを見て家に帰ったら、頭が痛くなり始め、とてもひどくなりました。師父は講法の中で、修煉者のために体を浄化するときには、反応があるとおっしゃったので、師父が私の体を浄化してくださっていると悟り、ほとんど一晩全然寝ないで我慢しました。翌日の朝、煉功点に行きました。動功の第4式をやるとき、第1回目の「両手を足の後側に沿って持ち上げる」とき、その瞬間に頭が痛くなくなりました。もっと不思議なことは、その時から私の体にある全ての病気がなくなりました。

  大法は非常に不思議です。当時私のいる煉功点に約100人いました。一人一人に不思議なことがあり、ある60歳の同修は直腸がんだったのが、修煉した後、腫瘍が排出されました。世界に知られている免疫系統の病である「癌」にかかって9年間半身不随になっていた女の子が立ち上がりました。ある80歳の同修は車にぶつかって、顔が血だらけになりましたが、病院に運ばれて全身の検査を受けても、何の傷もなく無事でした、医者はこんなに丈夫な体の同年代の人を見たことがないので、びっくりしました。大法に不思議なことは多すぎます。私は[自分にとって今生はもう何も要らず、修煉に専念するのみ」との一念が生じました。

  ある同修に、「あなたには根本的な執着があるか?」と聞かれたので、「ないよ」と私は大きなことを言いました。私は病気治療の目的で大法に入ったのではなく、周囲を気にしたり、あこがれのものを追求したりするために修煉しているのではなく、私は「返本帰真」するために修煉しています。

  小さい頃から、中共邪党の無神論の党文化の影響を受けていたので、修煉の内包を理解できませんでしたが、学法を通じて、「佛、道、神」はただの神話ではなく、本当に宇宙に存在していることが分かりました。彼らは、神通力があり、大きくなったり小さくなったりでき、苦がなく、ほしいもの、食べたいものは何でもあります。人間は修煉を通じて佛、道、神に成就し、生、老、病、死から抜け出し、返本帰真できます。ですから、私は修煉の道に入りました。

  私は圓満成就に向かって修煉に専念していますので、学法と煉功にとても頑張っています。当時の煉功場は朝5時30分〜7時30分の間に煉功します。私は夜中の2時30分に煉功点に着いて座禅し、いつも朝8、9時まで煉功します。時間があれば学法します。夜皆と一緒に学法し、歩いている時には法を暗記しました。とても精進している状態でした。

  しかし、人の心で法を理解していて、たくさん学法しても法理がよく分かりません。どうやって修めるのか、心性の向上も進まず、ただ表面的なものはできました。もう一つは、内向的な性格で、強い劣等感をもち、自分はだめでよく修煉できないと思い、自信がなかったので、いつも外に向かって探し、外に向かって求めていました。問題があったら、これをどうすれがいいか、それはどうかとすぐ同修に尋ね、ほかの人の真似をしました。結局、誤った道に入り、問題が現れました。自分に魔難をもたらしただけではなく、大法にもある程度の悪い影響を及ぼしました。

  夫は私と一緒に大法の修煉に入りましたが、ただ家で学法と煉功をするだけで、あまり集団の煉功と学法に参加しないので、よく邪魔されました。例えばラジカセをかけて煉功しようとしたら、ほかの人が将棋をしに来ます。私は、これが魔の邪魔で、修煉できないようにしているのだと教えても、彼は悟りません。それで、私はよく怒りました。彼のためにいろいろ考えていたのですが、実はとても彼に頼っている一面もあるので、私がよく修煉できなくても、彼には能力があるから、彼が真面目に修煉すれば、私にもよい影響を与えることができると考えています。

  修煉する前、私の手と足はいつも冷たく、小さい時から手は毎年冬には凍傷で毛皮の手袋をしても何の役にも立ちませんでした。修煉してからは、師父が私の体を浄化してくださったので、冬に外で煉功する時、手袋をしなくても凍傷になりませんでした。その時、師父は、まだ冬に外で煉功する時は手袋をすべきということをおっしゃっていませんでした。輔導員は常に手袋をしなさいと注意してくれましたが、私は、輔導員が師父と法を信じていないと思って、その意見を聞きませんでした。

  97年元旦の前夜、大雪で外の気温は零下15度、珍しく寒い天気でした。夫の同僚はまた将棋をしに遊びに来て、それも徹夜でした。翌日の朝、私が夫に煉功しに行くかと尋ねたら、彼は行かないと答えて横になって寝てしまいました。私はこんな良い功法を修煉しないで、徹夜で将棋をして遊んだりしてと、とても怒りながら、家を出ました。

  私がいつも通りに手袋をはずして煉功しはじめましたが、心は全然静かになりませんでした。その日は何かいつもと違って、手がすぐ麻痺状態になったのでまた手袋をはめた後、夫が徹夜で将棋をしたことを思い出してとても闘争心が生じ、また手袋を外しました。1時間経つと指が冷たくて動かなくなりました。実は、慈悲な師父は、手袋を外してはいけないと私に悟らせてくださったのですが、心性を守らず夫に対して恨みの心が生じたので、手は間違いなく凍傷に罹りました。このような大きな問題に直面した時、私はぜんぜん内に向かって探しませんでした。同修に指摘された時、それは師父と大法を信じていないことだと思い込んで、それを認めませんでした。

  手の指は腫れて黒くなり、大きいまめから、水が外に出始めました。半月後、黒くなった指がだんだんよくなってきましたが、ある日夫はまた将棋をして遊びました。それを見た私は、別の部屋で学法しようと思っても、心には夫のことばかり浮かんできて全然学法できませんでした。夫を悟らせようと、わざと将棋をする2人の前で、大きい音で煉功を始めました。それは煉功とは言えず、その人を追い払うのが目的でした。しかし1時間経っても、2人はぜんぜん気にせず、楽しく将棋をしました。仕方なく、別の部屋に戻りました。娘が寝る時間になっても、夫たちの将棋はまだ続いている様子を見て、私は我慢できず、怒ってしまったので、やっと夫の友人は帰りました。

  横になり両手は風が吹くように感じ、師父は調整してくださったかなと思いました。その時なんと自分があの人に対して間違っていたと感じました。「私が心性を守らなくても師父はまた世話をしてくださったと思い込んだのですが、実は旧勢力が隙に乗じて私を引き摺り下ろそうとしていました。翌日の朝起きて、びっくりしました。手から水がもう出ないで、黒色の部分もかさかさになって、壊死の様子が現れました。その後、壊死した部分が落ちました。

  この経歴を思い出すと、とても心が痛みます。これを書いたのは同修にも注意を促し、後の人がこのことから教訓を汲み取ってくれるように、同時に大法のためにもこれを記して明らかにします。私の手が凍傷になった後、友人はすべて私が大法を学んだから凍傷になって悪くなったと思い込んでいます。彼らに対して大法の真相の理解と、済度に障害をもたらしました。甚だしきに至っては多くの同修も、「煉功の時、凍傷になった」と言い出し、ある同修は更に私が「苦しみに耐えることができた」と誤解しています。私は真相を書き出して、同修たちと大法と衆生のために責任を負い、認識をはっきりさせ、更に多くの衆生を救いたいと思っています。

  私の手が凍傷になったのは大法と煉功には全然関係がなく、自身に存在している不正な要素がもたらしたものです。例を挙げて話しますと、1人の患者は2種類の薬をもらい、一つは彼の病気を治療することができる薬、もう一つは彼の命を失うことができます。医者はどれが良薬か、どれか毒薬かと教えましたが、患者は医者の話を聞かず、毒薬を飲んで死にました。これを医者のせいにしてよいでしょうか?

  私は師父の話を聞かなかったので、これと同じ深刻な誤りを犯しました。しかし師父はまたも、慈悲で私を加護してくださったのです。手はそんなに深刻な凍傷になりましたが、いかなる治療法と対策もとらずに、洗濯などの家事をすべて普通にやっても感染症になりませんでした。このことは大法の非常に不思議な威力を十分に証明しました!

  もし師父の慈悲と大法の威力がなければ、私の手は切断し手術をしていたか、あるいはぼろぼろになり、命を落としていたかも知れません。

 (続く)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 2009年7月28日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/8/191117.html