日本明慧
■印刷版   

10年の魔難の中で本心を見る


文/遼寧省の大法弟子

(明慧日本)尊敬する師父、同修の皆さん、こんにちは。私は法を得てから、もう10年以上が経ちます。この10年間の修煉の中で、幸せ、苦しみなどいろいろな経験がありました。苦難を乗り越える時に鍛えられ、法を得てから、今日まで本当に「正法時期の大法弟子として、師父が教えられた通りに行い、その都度内に向かって探せば、本当の修煉者として昇華することができる」と悟りました。

  私は小さい時から、性格が内向的であり、大人になっても、独立して行動したことがありません(これも、修煉を妨害するものであると思います)。1998年の年末に修煉を始め、「人間はなぜこの世に来たのか、なぜ修煉しなければならないのか」を悟りました。

  999年7.20から、大法が迫害され、私とほかの同修たちは、一緒に北京へ大法のため陳情へ行きましたが、陳情機関へ着く直前に、天安門広場で逮捕されました。警察に地元へ連行され、不法に15日拘禁されました。

  2002年の初め、真相資料を配ったとき通報されました。数人の警官は法律を無視し、私の家のドアをこじ開けました。師父が弟子を保護してくださったため無事でしたが、その時から、私は家を出て、資料拠点の生活がスタートしました。

  資料拠点の役割は、皆さんよく分かっていると思いますが、私達の資料拠点は全部地元の同修の組み合わせです。全員が仕事も給料もない人で、以前の貯金と家族のサポートで生活していました。当時、うちの子供はまだ小学生で、母の愛情が欲しい時でした。しかし、大法のため家にはいられませんでした。主人の給料(本当に少ないお金)で家族を養い、私も少しもらって、主人にとってとても大変でした。主人は1人で子供の面倒を見、仕事上のトラブルもあり、私の安全面も心配し、そのほか、警察や私の元の会社の人からの嫌がらせにも対応します。本当に『転法輪』に書かれた通りでした。もちろん、主人も修煉者です、そうでなければ、こんな難関を乗り越えることはできないと思います。主人は、師父と法を信じているから、家族をサポートすることができるのです。

  正法の要求に応じて、たくさんの家庭式資料拠点を作らなければならず、現在の資料拠点を三つに分ける予定ですが、当時、私はパソコンの知識が分からなかったため、依頼心が強く、「全ての人が資料拠点をやるべきではなく、ほかの事をやってもいい」と思いました。これが、修煉だと思わなかったのです。資料拠点にいる時、全ての同修は厳しく自分を律し、時間毎に発正念します。歩いていても、食事をしていても、仕事をしていても、どんな環境においても法を暗記したり、あるいは、自分の空間場を清めたり、発正念したりしました。それらのおかけで、資料拠点は成立してから、現在まで維持することができました。もちろん、師父の保護がなければ毎回の危険から抜け出すことはできません。たまに家へ戻った時、主人と一緒に法の上で交流しました。特に夫婦の間の情欲の方面も厳しく自分を要求できます。しかし、利益の心をなかなか除くことができませんでした。時に、「家のお金、少ししかないから、何か方法を考えて、お金を稼ぎたいね。子供もだんだん大きくなり、お金が必要です」と話すと主人は、「あなたは、大法弟子でしょう? ご飯が食べられないと心配しているの? 師父の言われる通りにやればいいのです。この現状は、あなたにとって試練でしょう?」と答えてくれました。

  利益の心をなくす時、母はよく助けてくれました。私は子供の時から、質素な生活をしていたため、無駄なお金を使う習慣がありませんでした。現在お金はあまりないので、母は私のことを心配して、「一つは家に住んでいない。もう一つは、主人から生活費をもらっている、いつまでもサポートしてくれるだろうか」主人の親もそう考えて、いつか離婚するかもしれないと心配していました。

  毎回、母に会うと、母は「修煉の道で、最後まで続けなければなりません、絶対中途半端にしないように。彼がいつかあなたをサポートしなくなったら、お母さんの年金が少しあるから、大丈夫ですよ」と言ってくれます(同時に、その頃母はまだ法を得ていませんでした。今は、修煉者になりました)。毎回、母の話を聞くと、私は涙が出てきます。「修煉者は師父の法身に保護されているから、師父の法身が母の口を借りて、私を悟らせている、執着心をなくして、修煉の道で精進してほしい」とはっきり分かっています。

  ある日の突発事件で、資料拠点には私1人しかいませんでした。どうすれば良いのか悩み、その時、苦しかったのです。パソコンの技能を良く覚えていないため、使う時になったら完全にやり方が分かりません。一晩中眠れませんでした。同修の家に向かって、自転車を踏みながら、師父の「弟子の正念足りれば 師に回天の力有り」(『洪吟二・師徒の恩』)を暗記して、涙が出ました。「師父は弟子を保護し、師父と法を信じている人にとって、乗り越えられない難関はない」と悟りました。

  師父の法身の按排で、数日後、同修が設備と技術のこと、全部正常に動くように、知識を与えてえてくれました。その後、発正念の時、頭の上に、何か動いているような感じがありました。脳の右上部に「カーカー」と音がし、「もしかして、師父は、弟子の知恵を使えるようにかけている鍵を開けてくださったのかもしれない、そうでなければ、1人で資料拠点の全部の仕事が完成できません」と悟りました。その時にやっと心の奥から「修は己にありて、功は師にあり」と実感しました。

 私が資料拠点をやり始めて短い間に正常に動くようになりました。元のやり方でやると相応しくありません、理由は、人が足りないこと、もう一つは正法の進展の要求に合いません。やはりあちこちで小さい資料拠点を作ったほうが良いと同修と交流しました。その後、何人かの同修は法の上で認識を高め、観念の障害を突破し、小さい資料拠点がたくさんできました。

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

  2009年7月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/8/191020.html