日本明慧
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私心を取り除き 新宇宙の神に成就する(二)


文/河北省秦皇島の大法弟子

(明慧日本)

  三、資料を作成する中で私心を取り除く

  2005年10月、私の家は繁華街から郊外地区に引っ越しました。静かな環境はとても家庭式資料拠点に適しています。私は夫にその考えを話したら、ちょうど彼もそう考えていました。しかし私達は何もわからず、その上また資金の問題もありました。夫は仕事を探し当てていないので、資金源がなく、設備を買っても運行することができませんでした。

  間もなく同修の甲が来て、彼は機械を1台買いましたが、時間がないので、私達にDVDを焼くのを手伝って欲しいというのです。私達は喜んで承知しました。これは間違いなく、「『修は己にありて、功は師にあり」なのですから、あなたにそういう願望があれば充分です。本当にこのことをやってくれるのは師で、あなたにはとてもそういう力はありません」(『転法輪』)のとおりでした。

  ある晩、私は夫と自転車に乗って空のCDを受け取りに行きました。帰る時、裏道を選びました。裏道はとても狭くて、しかもたくさんの窪みがあります。道の一方は野原で、もう一方は新たにできた労働教養所です。私は夫の後で真っ暗な中で前に向かって進み、労働教養所のそばに着いた時、 私の自転車は穴の中に落ちて倒れました。その時、「何をしている?」と労働教養所から大きい声が耳に入りました。私は驚きました。自転車を穴から出しましたが、真っ暗で、夫の姿はもうありませんでした。心の中は知らず知らずに恐怖を感じて自転車に乗って急いで前に進みました。自転車を漕ぐのは下手なので、また下水道のところで倒れました。私はそこに、真相資料を置いたことがあり、悪い人がいるのだろうか? と心は少し慌てましたが、「いや違う、ここは真相資料を置いたから、正の場が存在しており、悪い人がいることを許しません」と考えると、心が落ち着きました。

  私は自転車に乗って暗闇の中を前に進みました。夫がどこに行ったか分からないので、少し彼に対して不満が生じました。「彼は私を守ることができない」という考えが出ました。同じ考えが出たのは今回で2回目です。前回は2年前に、私達家族3人で真相を伝えていた時、警官に発見され、夫は早く逃げましたが、私と娘は連行されました。親戚はみな夫を非難しました。そのため、夫はとても自分の過ちを責めました。その時、「彼は私を守ることができない」という考えがはっきり現れたのです。

  なぜかと考えると、私は突然分かりました。それは、私が彼に対して形成した観念です。私は小さいときから臆病で、歩く時でも転ぶことを心配し、自らを守る心がとても強かったのです。だから結婚相手を探す時、要求もほかの人と異なって、家庭条件が良くて個人の各方面で私より良い人を避け、各方面で自分に及ばない人を探しました。相手は私の盾になるだけで良いと考えました。結婚後、やっと願いどおりにはならないことが分かりました。夫は何かあったら、すぐ私を前へ押し出して、外出しても道を聞くことさえ私にやらせるのです。そのため、いつも何の理由もなく彼に対して不満が生じました。「彼は私を守ることができない」という観念はその時に形成され、事ある毎にごたごたを起こしました。

  私は階下に着いたとき、迎えに来た夫と会いました。「どういうことだ? どんな人だった?」と夫が聞くので、「大丈夫だった、誰かは分かりません」と私は答えながら、部屋に入りました。「あなたはどうして私を待たずに自分で先に帰ったの?」と夫に問いただすと、「私はCDを持っているから、何かあったら損になるでしょう」と夫は答えました。夫はCDを保護するためだたと分かり、私は「私」に動かされて、責める心が出て来てしまいました。私は再び、「私」という根本的な執着心が依然として存在していることが分かり、心にやましさを感じました。

  家庭式資料拠点は運営を始めました。私は機械に「正念」という名前をつけました。「正念」が順調に運行できる事を願って、自分も正念正行できるように注意しました。私と夫は、1人が発正念をし、1人がCDを焼き、2人は交替で仕事を分担しました。機械をスタートさせると、「正念」は順調に軽やかに動き、焼いたCDはとても良かったのです。

  ほかに、同修の乙と丙も家庭式資料拠点の仕事に参加しました。2人の心は清浄で、言葉も少なくて自分を主張せず、いつも黙々と仕事をし、個人の得失にこだわりませんでした。私は6階に住んでおり、彼らはCDを届けることや廃棄物の処理に責任を負い、不満もありませんでした。甚だしきに至っては私の家の買い物や引っ越しなど、彼らは力を尽くして手伝ってくれました。

  その時、私は彼らに多くの面倒と負担を押し付けました。「安全に注意する」という言い訳で1枚の小さな紙くずまで彼らに捨ててもらいました。その紙が安全でなければ、どこで捨てても危険があるでしょう。それでは危険を他の人に押し付けたのではありませんか? 私は家に大量の空のCDを置きたくなく、焼いたCDも保管したくなく、彼らにすぐ家に持ち帰らせました。どんな事も相談することなく、命令しましたが、しかし彼らはずっと何も言わず、黙々として協力し、円容しました。

  もう1人の同修は毎日仕事以外の時間に、家庭式資料拠点の仕事もあって、またいつもほかの同修のためパソコンのシステムを入れ替えたり、技術を教えたり、設備を買ったりしました。そのほか、私の家の生活にも関心を持ってくれました。彼は私の家まではとても遠いのですが、彼の助けで私はCDを焼き、修正することができました。

  私は自分の「私(し)」、「恐れる心」を見つけました。「私」があるからこそ「恐れる心」があります。「私」は私ではなく、私は大法弟子であり、「私」を取り除くべきです。「大法弟子として、あなたの一切のものを、ほかでもなく大法が構成しています。これこそが最も正しいもので、一切の正しくないものを正すしかないのです」(『精進要旨二・大法は堅固にして破壊不可能である』) 私は絶えず法の中で自分を正し、ますます平然となりました。

  師父の慈悲なご加護と同修達の協力の下で、家庭式資料拠点は安定して2年以上歩んで来ることができ、大法を実証し、衆生を済度する中で役割を発揮したのです。

  四、人心を放下し、神に向かう

  数年来、私が顔を合わせて真相を伝えたのは、親友と知人だけに限られ、とても少なかったのです。師父の正法の要求は前へ進み、最後段階になっており、衆生を救い済度することは目前に迫っています。更に多くの衆生を救い済度し、顔を合わせて真相を伝えることは私の突破しなければならない関になりました。しかし、どうやって知らない人に話しかけるのかが難関でした。その根を究めたら、やはり「私」でした。自分の心を傷つけられることを恐れ、人を捉えて放しません。

  ある年配の同修は顔を合わせて真相を伝えるのがとてもよくできており、ある日、私はその同修と一緒に真相を伝えに行きました。彼女は人々に真相資料を渡し、私が発正念をしました。ある建築工事現場に着いて、10数人に残った資料を分けて、 また『九評』が欲しいと言われました。2日後、私達は『九評』を彼らに届けて、10数人はすべて三退しました。初めて外で真相を伝えましたが、効果はこんなに良いものでした。これは師父が私を励ましておられると分かりました。全て師父はやってくださっているのです。私達はただ足と口を動かして、その過程で人の心を取り除くのです。

  ある日、私も同修を真似て、自転車を押して歩き、向こうからやって来た中年の人に話しかけました。「お兄さん、あなたにすごい本をあげますよ」というと、彼は自転車から降りて『九評』を受け取り、「ありがとう」と言って行きました。約200メートルの間に、私は10数枚の真相資料を渡し、3人が三退しました。ただ3人しか真相資料を受け取りませんでした。

  私は、すべての衆生を救い済度することが差し迫っていると感じています。自分が外に出るのはとても遅すぎて、師父の慈悲な済度に合わせる顔がありません。今後私はいっそう努力し、三つのことをしっかり行い、自分の先史の誓いを果たします。

 (完)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

  2009年7月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/8/191117.html