日本明慧
■印刷版   

しっかり学法し、真相を伝え、衆生を救い済度する(一)


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)尊敬する師父! 同修の皆さんこんにちは!

  最近、学法をし、真相を伝え衆生を救い済度する中で、ますます師父と大法を確信し、「慈悲」について新しい悟りがあり、ますます師父の慈悲の心を感じています。大法弟子として、師父の要求されることを圓融すべきです。

  私は2001年に労働教養所から出てから、ずっと自信がなく、2004年にやっと新たに修煉の道に戻りました。私達がやるべきことをきちんと出来ていない為に転んだ時でも、師父は私達を見捨てることなく円満成就出来るまで私達を導いてくださる師父の洪大な慈悲を感じています。迫害の中で自分がしっかりと学法をしていないので、人心により、邪悪に追い込まれ、何かの書を書いて、他の修煉者を非難した言葉を言ったこともあります。

  あの時はすでに邪悪側に立っていました。師父と大法に申し訳ないことをしてしまいましたが、それでも、師父は依然私を見捨てず、依然として私を導いてくださっています。思想上の悩みを放下出来たとき、引き続き師父と家に帰ろうとしたら、本当に師父が私を確かにずっと見守ってくださっていたのを感じました。師父はずっと私達の手を引いてくださっています。それならば私達はずっと師父に付いて前を向いて歩いて行きましょう。

  慈悲に衆生を救い済度

  師父は慈悲で衆生を救い済度しておられますので、法を正す時期の大法弟子として、私達も慈悲の心で周囲のすべての衆生に対応しなければなりません。常人に対して真相を伝えることは、自分を修める過程です。私達が直面した人は全て師父が按排された縁のある人たちです。彼らの言行もすべて私達の修煉を高めるためにあります。これらはすべて大法弟子の執着心から来たものであり、高まる機会を大切にしなければなりません。 

 毎回真相を伝えながら、内に向って不足を探して、高めるのです。知らない人に面と向って真相を伝えることはとても難しいことです。あるとき、ストーブを売る店員に真相を伝えようとしましたが、結局3周回っても口も開くことが出来ず、最後に、決心してやっと真相を伝えることが出来ました。あの時何故なかなか出来なかったのかを後から考えれば、自分に執着心があったからだと悟りました。良くないものが真相を伝えることを妨げていますが、それを突破してやり遂げれば、師父は私達の良くないものを取り除いてくださいます。いろいろな人に対して、真相を伝える度に、突破して、鍛えて、内に向って探す、これが修煉の過程です。

  真相を伝える過程は心性を高め修める過程ですが、主な目的は人を救うことです。人を救う事は自分の為ではなく、人のためです。人の為に行うことが多ければ多いほど、慈悲心が大きくなります。最初に、真相を伝えて衆生を救い済度することは本当に難しいことですが、自分で意識的にそれを突破し、難しければ難しいほど放棄しないようにしなければなりません。「忍び難きは忍びうる。行い難きも行いうる」(『転法輪』)なのです。

  師父ができると言われるなら、私達は必ずできます。毎日行脚するように真相を伝えて、最初は3、4人から6、7人に、次に10数人から、数十人まで増え、今は本当に苦境にあっても希望が見えてくるのを感じています。最初は主に病人を対象にして真相を伝えていました。彼らはとても辛くて、救うべきだと思いました。しかし、次第に会うすべての人に対して真相を伝えるべきと思いました。常人は淘汰に直面していて、真相を知らなければ、待っている結果は恐ろしいからです。慈悲を修めるのも過程があります。

  1人でも簡単に見逃さないことで、最初は面と向かって、一対一または一対数人でしたが、十数人や数十人になるとどうしたらよいでしょうか。彼らも師父が按排された縁のある人たちなので、師父はきっと私達が彼らを救えると信じて按排されたのです。知恵がなければ、師父が与えてくださいます。ある日夜7時過ぎ、学法して帰る途中、ある工場の出入り口から数人の農村からの臨時就労者が出てきました。

  その時この人たちは師父の按排で真相を聞きに来ている人たちだと思いましたが、こんなに大人数でどうしたらよいのかと思いました。しかし、それでも言わなければならないと思いました。彼らに話しかけると、彼らは四川から来た人たちだと分かりました。そこで、四川の人はとても善良なので人類は間もなく淘汰されますが善良な人は残るべきですと伝えました。劉伯温のある予言では善行をする人は見えるが、悪事を働く人は見えないと言っています。

  この時こそ真相のお守りを配るチャンスと思い、彼らにそれぞれ1枚をあげていると、入り口から出てくる人がだんだん多くなってきました。私は真相のお守りに書かれている内容の「真、善、忍が素晴らしい、法輪大法が素晴らしい」を説明し始めました。「みんなさん、初めの文字、真を見てください、真は真実のことを話し、行い、真人になること。二つ目の文字の善は、他人に善意を持って接することです。三つ目の文字、忍は、物事に遭うとき他人と争わず、いっとき忍べば、何事でもなくなり、一歩退けば天地が広がります。この三つの字は素晴らしい文字です。これは宇宙の理、宇宙の法を説いています。私達みんなが真、善、忍に基づいて良い人になれば、人類が淘汰される時、良い人は残ることが出来、すばらしい未来が待っています!

  しかしもう一つあります。三退しなければ平安を守れません。真相のお守りの下に一行の文字がまだあります。私はみんなの脱党、脱退を手伝います、大きな災難が来た時に平安を守ることができます」と、話すと、彼らは喜んで聞いてくれました。にぎやかな談笑が絶えることなく、とても穏やかでした。

  この時ある男女の青年がお守りを貰いに来ていないのに気づき、私は彼らに「これは大法の真相のお守りで、とても貴重なものですよ」と伝えるとかれらは真相のお守りを受け取りました。この人たちが私の周囲におり、この空間では私達がやっていますが、その他の空間では師父の法身と正神がやっています。ここでは平常で普段どおりですが、他の空間ではきっと非常に壮観です。本当に人を救っているのは大法と師父なのです。

  最後に私は彼らにDVDの機械をもっている人がいるか尋ねたら、中の1人が自分の部屋にあると言ったので、私は2009年の神韻公演のDVDを彼らに贈呈して、帰ったら観て下さいと伝えました。彼らは離れるのが名残惜しそうでした。そして、私も帰りたくありませんでした。

  私は悟りました。大法弟子の知恵と能力は師父と大法が与えたものであり、目的は衆生を救うことです。こんなに大勢の人に直面しても何も考えず、ただ、人を救うことだけを考えていました。私は帰宅後、残った真相のお守りの枚数を数えてみると30数枚を配ったことが分かりました。これらの衆生を救い済度される機会を与えくださった師父の按排に感謝します。「修は己にあり、功は師にあり」に対する理解が更に深くなりました!

 (続く)

  2009年7月31日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/5/10/200510.html

■関連文章
真相を伝えることは何か承知させることではない