日本明慧
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発正念は確かに重要なこと

(明慧)ある日、学法グループで皆と一緒に新しい経文を読んでいた時、私の番になると、ちょうど正念を発することに関する一段でした。その時、どうして私がこの段を読むことになったのだろうと思いました。読み終えたあと、正念を発することが重要だということを大法が私に示してくれたのだと思いました。とりわけ正念を発することが法を読むことと同様に重要であると分かりました。師父がおっしゃった通りに、正念を発することは修煉者がやるべき三つの事の一つです。

  振り返ってみれば、正念が重要だと分かっていても、時々緩んでしまい正念を発していませんでした。 特に何かやりかけていることがある時、パソコンの前に座って発正念の時間になっても、集中できず、時間が去っていくのをただ待っていました。しかし、法を読む時、よく学ぶために、姿勢や心理状態を正し、師父と大法を尊重し、喉が乾いてもお腹がすいても我慢して食べ物を口にせず、上の空で法を学ばないようによく気を引き締めています。正念を発することは学法と同様に重要であると分かってからは、この数日間ずっと学法と同じ心理状態で正念を発しています。すべての念力を「滅」という文字に集中します。心を込めなければ、神としての威力が発揮できません。真剣に正念を発したら効果がかなりよくなりました。何も見えなくても、はっきりと感じることができます。心を込めて正念を発することは本当に重要なことだと思います。

  しかも、正念を発する前に思想を浄化することも非常に重要だと思います。色々な雑念や業力をすぐに取り除かなければ、邪悪は直ちにその隙に割り込んできて、迫害を加えます。もしすぐによくない思想を取り除くことができなければ、後で時間を作って補うべきです。

  以上は個人なりの体験と感想です。不当なところがありましたらご指摘をお願いします。

  2009年8月2日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/7/29/205427.html

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