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私の修煉体験


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)

 一、修煉を始める

  私は1998年10月、幸運にも法輪功の修煉を始めました。1月になって初めて集団煉功と学法に参加しました。あの時以来、毎日参加して休んだことはありません。行くとみんなに読んであげ(年配者が多いため)、それから交流し、私は次第に大法の素晴らしさが分かってきました。人から聞いた病気治療と健康保持だけでなく、大法は正に真の修煉です。

  個人修煉では、自分が修煉を始めたのが遅かったので、置いていかれないよう、時間があれば学法し、みなに追いつこうとしました。私達の集団煉功は4.25以降も、いつも通りにしていました。7.20の数日前、七つ、八つの郷・鎮、村の警官が煉功場に飛び込んで来て、ひっくり返しましたが、最後、大法のものは何も見つけられませんでした。その時の補導員の心性は高く、正念も強固で、警官は彼女に本、資料を要求しましたが、彼女は何もないと言いました。警官は、「それなら捜査するが、それで出てきたらどうする? あんたは何をもって保証するのか?」と言い、彼女は「私の頭で保証します」と答えました。実はその時彼女の家の三つの部屋は大法のものばかりでした。ただ「弟子の正念足りれば、師に回天の力有り」(『洪吟二』「師弟の恩」)「強い正念であればあるほど、大きな威力があるのです」(『同じく二言三言』)。警官らは何も見つけられなかったのですが、それ以来、私達はグループ学法と煉功する環境を失ってしまいました。

 中国大陸では、警官は天地を覆い隠すほどやって来て、天を崩壊するかの勢いでした。すべての放送、ラジオ、テレビ、新聞、メディアは中国共産党の宣伝用具となり、ひたすらデマを飛ばし、欺き、盗品を押し付けて罪に陥れ、すべての衆生をごまかしていました。罪のない私たちを誣告して罪に陥れ、労働教養所、刑務所、洗脳班へ送り込み、残虐に迫害を行いました。その迫害手段の邪悪さはこの上なく残酷です。同修たちが迫害されることを耳にするたびに、私の心は振るえ、涙が流れ、これ以上じっと座っていることは出来ず、人々に真相を伝え、彼らを救い済度し、邪悪を制止しなければならないと思いました。

 私はペンをとって手紙、真相スローガン、カラーの掛け軸、シールを書いて、時間があれば同修たちと一緒にそれらを配ったり、掛けたり、貼るなどしていました。その後、真相資料ができ同修たちと一緒に貼ったり、配ったりしました。ある日、私と同修は昼食を食べてから出発し、歩きながら道に掛け軸を掛け、村に入ると資料を配りました。いつの間にか日が暮れ、帰る途中で、道に迷ってしまい、とても暗くて、誰一人も見当たらず、どうしようかととても焦りました。この時、同修が「尊師にお願いしましょう。道を尋ねる誰かに来てもらうように按排していただきましょう」と言いました。私達がそう考えていると、しばらくして、バイクに乗った人がやって来ました。その時、心の中で尊師に大変感謝し、尊師は私達の身の回りにいらっしゃって、常に私達を加護してくださっていることを知りました。もう一度は夜、私たち3人で資料を配りに出かけ、途中である警官に止められて、「あんた達は何をしているのか? 法輪功だな? 止まれ、私はすでに電話をかけたので、パトカーがすぐに来る」と言われて、私達3人は誰も彼を相手にせず、1人はもと来た道へ、1人は東へ、私は西へ行きました。あの警官はバイクに乗って、もと来た道へ行った同修を追ったり、東へ追ったり、また私を追ったりしていましたが、結局1人も捕まえられませんでした。私達は心の中で正念を発していたからです。その後、私達はそれぞれ内に向かって探しました。私は自分が油断する心があったのを発見し、また潜在意識に顕示心がまだあるのを見つけました。見つけてからすぐに正しました。

  2004年末、尊師の経文『世間に向かって輪を回す』と『更に輪を回す』を勉強してから、真相資料を配るだけでは足りないことが分かり、相手と面と向かい合って真相を伝え、三退を勧めて、本当に衆生を救うことができると分かりました。最初はどう伝えるのか分からず、勇気もないため、先に親戚や友達に、それから学友、同僚へと真相を伝えて、最後に『明慧週刊』を読むこと及び同修との交流を通じて、次第に同修たちと外へ出て行くことができるようになり、真相を伝えれば伝えるほど勇気が湧き、言えば言うほどうまくなったので、時間があれば私達は出て行くようになりました。

  ある時、私と同修は真相を伝えに出かけ、道中、田畑で人に会えば真相を伝えました。とても苦労して急な傾斜を登って行きましたが、人は誰もいません。しかし、1本の小さい溝の向こうで、1人の人がちょうど畑を耕しているのが見え、同修が「あの、ちょっと待ってください。あなたにお聞きしたいことがあります」と言うと、その人は作業の手を止めました。「あなたは三退して平安を守る事を聞いたことがありますか?」、「ありません」、「ではお教えします。将来人類には大きな災難があり、あなたは共産党の組織を脱退しさえすれば、避けることができます。あなたは脱党したいと思いますか?」、「はい、したいと思います」、「あなたの名前は」、「◯◯です」このような簡単な会話で済ませました。心に衆生を思ってさえいれば、縁のある人を逃したくなければ、とても容易なことです。実は真相を伝える過程は修煉の過程でもあり、自分の執着心を取り除いているのです。たとえば、恐怖心、功を焦る心、私心、恨む心、安逸心、争闘心などの多くの心がみな、いずれ暴露されます。あなたがどう対応するかを見るのです。直接あなたをののしる人がいます。あなたはしっかりと心性を守れるかどうかを見るのです。ここ数年、ますます分かってきたのは「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)真相を伝えるのは、昔の僧侶が行脚していたように、人に嘲笑されても、口汚くののしられても、変な目つきで見られても、人と同じように争わず、自分に対して常に高い要求を課するべきです。常人には「自分を律するのに厳しく、人を遇するのに寛大である」という言葉があります。私達は修煉者で、神への道を歩んでいる修煉者ですので、なおさら常に自分に厳しく要求し、自分の善念、慈悲で、人を感化して人を救うべきです。

  法を正す時期の大法弟子はこの上ない光栄であり、天の高級生命もこの称号を得られません。だからどんな事をしても苦も疲れを感じません。その中で楽しむのです。私が千載一隅の大宇宙の大法とこの上ない慈悲なる尊師の済度を得たからです。私は永遠に師と法を信じ、決して動揺しません。大法を堅修して、円満して尊師について帰ります。

 二、法をしっかり勉強して、名実相伴う大法弟子になる

  私は学法と煉功をずっと今日まで続けており、止めたことはありません。それは私が大法の大切さを知っているからです。私は千万年来ずっと待ち望んで、やっと得ました。ここ数年、親戚や友人を訪ねる時、常に『転法輪』と真相資料を身に付けて、常にやるべき事を覚えています。しかし法は学んで、意味も分かりましたが、覚えられないのです。常に法を口にしている同修がいます。尊師はどのように説かれたのか、すぐに話せますが、自分はそれに比べて差が大き過ぎます。心に法があれば、何かに遭ってもしっかり対応できます。私は『転法輪』を暗唱することを決心しましたが、自分の仕事は忙しく、時間は少なく、それに毎日のグループ学法と煉功を逃してはなりませんので、毎日30分、多くても1時間、暗唱します。このようにして、私は1年の時間をかけてやっと一回暗唱できましたが、しばらくするとまた忘れるので、2回目の暗唱を始めて、今は第五講まで暗唱しています。法を暗唱する過程で、多くの法理が分かり、同時に印象も深まり、自分の心性が向上するための基礎を築くことができました。

  私は幼児の教師です。よく子供と保護者に接触します。そこが私の修煉の場所になっています。真相を知り、衆生を救い済度しなければならないことを知ってから、よく子供達に善悪に報いがある物語、あるいは真相の小冊子の中のストーリを教えます。彼らはみな「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と言えます。子供達は救われます。執着心を取り除き心性が高まった面では、普通の情況においては、私は心性を守ることができますが、ただ一部の特に腕白な子供が間違ったことをすると、脅かして彼を少し打ち、自分も怒ります。心性が高まった例を一つ挙げます。今年の夏、子供達に家で昼寝をさせるため、午後3時の登校を定めましたが、ある保護者は2時半にもなっていないのに子供を送って来て、ドアが開いてないのを見て、足でドアを蹴って開け、口汚くののしったのですが、私は彼に非常に礼儀正しく接したのです。私は「善」と「忍」を行動で実証し、彼を感化したと思います。

  ここ数日、尊師の『洪吟二』の「断つ」を勉強して「修難からず 心去り難し 幾多の執着何の時にか断たん」とありま。そこで私にはまだ多くの執着があります。いつになったら漏れ一つなく執着を全部取り除けるのでしょうか? と思いました。特にオリンピックの時、多くの同修が不法に連行され、私達の所の同修には多かれ少なかれ恐怖心が生じ、出てきて学法と煉功する勇気がなくなりました。風向きを避けるため、家で学法、煉功して、真相も伝える勇気がなく、旧勢力の按排を認めて、仮相に迷わされ、尊師の「最後になればなるほど、精進すべき」をも忘れてしまい、最後に旧勢力に隔てられてしまいました。私はとても恥ずかしく思います。私達のために多くの罪業を替わりに耐え、また地獄の中から私達を救ってくださった尊師に申し訳ないと思います。実は今度のオリンピックも私達全体を向上させるよい機会で、全体にまだ恐怖心があるかどうか、恐怖心を放下して正々堂々と歩み出してこられるかどうかを試されています。恐怖心は修煉者が神となる致命的な関所であって、必ず放下しなければなりません。この数日、内に向って探すことを通して、自分には恐怖心があるだけでなく、その上、人に言わせない、特に夫に言われるとすぐに炸裂して、またその他にもあることを見つけました。とにかく、今後の修煉では、常に大法の要求に基づいて自分を厳しく律し、自分の不足を正して、すべての執着を取り除き、決して尊師の慈悲なる済度と自分の先史の大望に背かず、名実相伴う大法弟子になります。

 2009年8月4日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/2/28/196235.html

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