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人に聞かれることに怯える心を取り除いた

 (明慧日本)私には、以前からずっと不安に思っていたことがありました。即ち、真相資料を配布している時や、顔を合わせて真相を伝えている時に、相手から「法輪功学習者ですか」と聞かれることを恐れ、正々堂々と答えたら、相手に拒否されるかもしれないと ずっと心配していました。

 何かを恐れるなら必ず何かが来る。初めてDVDをある夫婦に渡した時に、男性から「法輪功学習者ですか?」と聞かれました。私は慌てて、「法輪功でなく、新年祝賀祭です」と答えました。奥さんはDVDを欲しがったのですが、「法輪功学習者に違いない」と男性に阻止されました。その日、私は誰にもDVDを渡せませんでした。

 家に帰って、私は心が苦しくなり、反省しました。「なぜ人に聞かれることを恐れるのか? 衆生はみんな悪党の宣伝に騙され、皆法輪功の資料を受け取ることや見る勇気がなく、これは正に真相を説明する絶好のチャンスではないのか? 我々は大法のために来たのに、なぜ恐れるの? なぜ自分は自分に障害を設けたの? 人を済度するのは大法で、我々ができるのは真相を説明する責任を果たすだけだ。衆生が受け入れられるかどうかは、彼ら自身が選択することだ。

 師父はおっしゃいました。「人類は自らが猿から進化してきたという説でさえ、最も正しい学説と認めているのに、これほど偉大なる宇宙の大法に対して、皆さんはかえって正確な位置を与えることを恥ずかしく思っているわけです。これこそは人間の本当の恥なのです」(『精進要旨』の『環境』)私はどうして正々堂々と世の人々に法輪功の真相を伝えないのでしょうか。

 私は自分を妨害している他の空間のすべての邪悪なものを取り除き、そして師父のご加護をお願いしました。それからは、資料を配るにしても、顔を合わせて真相を伝えるにしても、私は人から「法輪功学習者ですか?」と聞かれることに怯えなくなりました。

 人に聞かれた時は、私は上手く対応できるようになりました。例えば、私は常に次のように答えました。「自分に良いものである限り、法輪功であるかどうか重要ですか。医者は病気が治せるなら十分で、李氏とか王氏とか、お医者さんの名前は重要なことですか?」私の話を聞いた相手は「そうですね。見てみましょう」と言いながら資料を受け取りました。たまに、「好きになったら困ります」と心配を示した人もいますが、この時私は「良いものが好きになったら何が悪いですか」と返事しました。相手は往々にして喜んで資料を受け取って去っていきました。

 ある日、年配の夫婦2人に神韻公演DVDを渡した時、同じように「法輪功学習者ですか?」と聞かれました。私は正面から答えず、少し考えて、「あなたは法輪功を知っていますか? 法輪功はより良い人間になるように人に教えています。あなたはどうして反対していますか?」と答えました。相手は「反対しません。反対しません」と返事しながら、DVDを受け取って行きました。

 私の話には賛成しましたが、資料を受け取らない、あるいは「三退」をしない人も多くいました。この時、私は「あなたはいくら人と付き合ったとしても、いくら偉いことをしたとしても、私の今日の話を、あなたはきっと一生忘れられません」と言いました。師父はこのようにおっしゃいました。「この世のすべての生命は大法のために来ており、真相を聞いたり、『三退』を進められたりした生命は、このことを忘れられるでしょうか」こうして言い出すと、相手は目が覚めたようで、「本当ですか」と質問しました。「本当です。あなたはきっと忘れられません」と私は強調しました。私のこのような話を聞いた人は殆ど「それなら見てみましょう」とか、「それなら『三退』をしましょう」とか言いました。

 実は、良く説得できるかどうか、しゃべれるかどうかの問題ではなく、真相を伝える効果を決めるのは心境です。心境によって結果は違います。相手の態度は自分の心境の表れです。

 2009年8月4日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/8/2/205761.html

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