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楊貴全さんの遺体が火葬され、100人にも及ぶ警官が緊迫した状況に(写真)


文/遼寧省の法輪功修煉者

(明慧日本)2009年7月19日の午前9時頃、遼寧省阜新市の葬儀場の中庭に、約十数台のパトーカーと1台の武装大型車両が止まり、総勢100人近くの公安局の警官と、私服警官、武装警官が葬儀場の中と外を取り囲み、大敵が攻めてくるかのような、とても緊迫した情勢だった。

 楊貴全さんの遺体が火葬されたあと、楊さんの家族と親戚たちは顔を地面に伏せ、涙を流しながら「何の罪もない人なのに生きたまま殺されました! それは大切な人命ですよ!!」と大声で悲鳴した。その泣き声は心が裂けたように悲痛なものだった。友達が楊さんの遺体を葬儀場に見に行った時、葬儀場の警備員が「誰の遺体を見てもいいけど、9号の楊貴全さんの遺体を見てはいけない」と言った。

 阜新市に在住していた、法輪功修煉者・楊貴全さん(45歳)は、不法に阜新市新地留置所に拘禁されて迫害され、2009年7月5日に死亡した。遺体の背中と後頭部には血痕があり、足には傷跡、太ももの内側には電気ショックを与えられたと見られる跡が残っていた。
楊貴全さんの生前の写真

 楊さんが死亡した後、家族のマンションの下に数人の警官が現れた。当然家族の安全を守るわけではない。家族が、楊さんのあいまいな死亡原因を認めないため陳情することを恐れて、外部との連絡を阻止するために警官を派遣して監視させたのである。

 楊さんの友達は弁護士を雇い、法律を通じて、この事件に関与した機関や人物を探し当てようとした。しかし、当地ではこの案件を引き受ける弁護士は誰1人としていなかった。弁護士らは「遼寧省司法庁が最近発表した公式文書に記載されているように、弁護士は法輪功側を弁護することができない」と言った。

 楊さんは1964年1月2日生まれで、阜新市細河区新市北新村煤海小区1号ビル709号室に在住し、阜新市栄興塑造工場に勤めていた。法輪功を修煉し始めてからは「真・善・忍」に遵って自分を律し、より善い人になり、たくさんの恩恵を受けた。まず、彼は法輪功修煉者の基準に従い、よくない習慣を直し、身体に有害な常習もやめた。毎日煉功を堅持し、身体は非常に健康であった。日常生活では、自ら洗濯物を洗い、食事を作るなどの家事を担当し、親孝行をし、妻を思いやり、子供のことに気を配り、自分のやるべきことをやり尽くした。会社では、殆どの人が「この人はあまりに良い人だ」と言った。仕事は注意深くもくもくとやり、苦労をいとわず、新人が技術上わからないことが有れば、嫌がらず念入りに教えた。

 2009年6月20日の夜6時頃、楊さんは阜新市商貿城で人々に法輪功迫害の真相を伝えていたとき、真相を知らない人に密告された。阜新市海州区公安分局政保科の警官・伍忠啓などが現場に駆けつけ、楊さんを不法に強制連行した。警官に暴力的な手段で強制連行されていたとき、楊さんは法輪功が無実であるという信念を曲げず、絶えず「法輪大法は素晴らしい!」と大きな声で叫んだ。

 警官・伍忠啓などは徹夜で楊さんを尋問し、不法に阜新市公安局新地留置所に身柄を拘禁した。楊さんは法輪功の「真・善・忍」を信奉することは無罪であることを信じ、新地留置所に着くと断食して迫害に抗議した。海州区公安局政保科の伍忠啓らは、新地留置所の警官や刑務所の医者と共に楊さんに対して残酷な苦しみを与え、更に灌食(流動物を鼻から管を通して流し込む拷問刑のこと)した。7月5日までの間、生命が危篤状態に陥るまで楊さを迫害し続けた。

 拘禁中、80歳になる母親が海州区公安局政保科に行き、楊さんを釈放するよう強く求めたが、伍忠啓らの警官に拒否された。面会の要求書を提出しても拒否された。楊さんが勤務していた会社の上司が、何度も海州区公安局政保科に足を運び、楊さんの釈放を求めたがそれでも釈放しなかった。

 楊さんは7月5日の午後3時に死亡したが、しかし、海州区公安局政保科と新地留置所はすぐに楊さんの家族に知らせず、悩んだ末、夜8時に家族に通知した。

 楊さんが死亡する数時間前に、公安病院に送り、一旦留置所に戻してから、数時間後に、阜鉱集団総医院に送った。阜鉱集団総医院側は「病院に送られて来たときには、すでに心肺停止状態だった」と話した。診断した医者は「死者の背後と後頭部は血液が詰まった状態で、足には傷痕があり、太ももの内側、およびほかのところにも電気ショックを与えられたと見られる跡が残っている」と言った。

 楊さんが死亡して十数日が経過しても、遺体は適切に処理されなかった。家族は多くの部門に訴えたが、解決してくれる部門はなかった。さらに、中国共産党政権は弁護士に圧力をかけ、法輪功のために無罪を弁護することを禁じている。楊さんの家族は訴えるところもなければ、弁護して貰うところもない。どうにもならない状況の下で、家族は、楊さんの死亡原因が不明なまま仕方なく、新地留置場といわゆる「合意書」を書き、わずかな弁償金と加えられた一部の条件に同意した。

 2009年7月19日、楊さんが火葬された日に、中共政権の関係者は、楊さんの家族とこの事件を知っている人達の気が収まらない事を知り、大量の警官を出動させて現場を警備させ、被害者の家族と親戚を脅かした。総勢100人近くの公安局警官と、私服警官、武装警官が葬儀場の中と外に配置された。内情を知る人物が漏らした情報によると、楊さんは警官に殴られて死亡したという。詳しい情報は、正義ある人からの提供が有り次第、お伝えします。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2009年8月9日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/27/205368.html

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