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内に向かって探して初めて、トラブルを解決できる


文/北京大法弟子

(明慧日本)私は邪悪に2年拘留されました。労働教養所から出たばかりの時、この影響を認識できませんでした。自由を得た日、私はとても楽しく、自分が精神異常になるまで迫害されていないことを幸いだと思いました。当日の夜、私は師父の2年来の説法を読み始めました。

  家に帰って2日目、ある同修が私を訪ね、よく学法すること、よく明慧ネットを見ることを私に気付かせてくれました。しかし、私は労働教養所である同修の行為を見ました。その同修はかつて明慧ネットで文章を発表したことがありますが、理性を失い、大法を攻撃しました。そのため、私はずっと明慧ネットに少し抵抗がありました。幸い、私は毎日学法を続け、いつの間にか、明慧ネットを見たくなりました。その後、ソフトを見つけ、よく明慧ネットの内容をダウンロードし、現在まで続けました。

  しかし、私と舅のトラブルは日に日に激しくなり、私は父の目の前で舅と大喧嘩をしました。その後、自分も間違ったところがあると認識しましたが、これ以上我慢できないと考えが変わりました。今考えれば、実は、私は舅の大法に対する態度を口実にして言い訳を探していました。偶然のチャンスで、私は1人の同修と知り合い、彼も迫害されたことがあり、私に自分が迫害された原因を探すようにとヒントをくれました。

  私は自分の近年来の行為を反省し始めました。連行される前、私と夫の関係は離婚寸前になりました。夫の言葉で言えば、私の彼に対する、また家庭に対する関心を感じることができないということでした。一方、私は夫がほとんど修煉を放棄したことで、毎日だらだらとしゃべっていました。当時私の心も静かにならず、長い間本を読むたびに眠くなり、歩いた時あれこれ思いを巡らし、恐れる心をずっと突破できませんでした。連行される前、師父は数回啓示してくださいましたが、自分は認識できず旧勢力が按排したわなに陥りました。

  今回、内に向かって探すことで、私はトラブルを引き起こす自分の執着心を見つけ、舅とのトラブルを収めようと決めました。1996年に修煉を始めてから、私は初めてこんなに喧嘩をしました。実は、私は心の奥まで舅のことを蔑視しています。たとえば、舅の姑への態度、党文化に毒害された行為などなど。しかし、私も同じような欠点があります。闘争心、一人よがり、応報を求める心、人に重視されたい心などなどを見つけました。舅にとってはこれらの考えは正常ですが、私にとっては、取り除かなければならないものだと思います。

 師父の『オーストラリアへの説法』のビデオが出てきてから、私の考える道筋はさらにはっきりしました。師父が説かれた通り、煉功者が常人とトラブルがあった場合、すべて煉功者に原因があります。しかし、意識と実行は別のことです。舅とトラブルがある度に、私はいつも原因を考えます。自分をうまく抑えることもありますが、よくできない時もあります。よくできない時、体面を気にしすぎて謝ることは難しかったのですが、頑張ってやってみました。徐々に、私は生活の中で舅のことを考え始め、好きな物を買ってあげ、舅とよく話し、意見を聞きました。実は、これらのことは常人でもうまくできるのですが、私は今やっと少しずつ出来るようになりました。それで、家庭内のトラブルも穏やかになり、舅の私への態度もずいぶん変わりました。

 家庭内のことについて、私はずっと悔しい思いをしました。長い間、これは嫉妬心からのものと認識できませんでした。何度も、師父の経文「悪い人は嫉妬心の行き着く末に、自分のため、怒りのために、自分のことを不公平だと言います」(『精進要旨』(境界))を暗唱してもわからず、夫の理解を聞きました。夫は弾圧前にはとても精進していた学習者であり、個人修煉も良くできていました。夫は私の問題を分析して、嫉妬心だと答えました。その日、私はずっと『転法輪』を読んで、嫉妬心についての部分を何度も読みました。考える道筋はどんどんはっきりしてきました。「中国人は昔、儒教の影響を深く受けていました。そのため性格はわりあい内向的で、怒る時でも喜ぶ時でも顔に出さず、修養や忍を重んじます」(『転法輪』)。私はこの性格で、修煉する前、「怒る時でも喜ぶ時でも顔に出さず」を寛容と能力の表現と認識しました。家族以外の人と接する時、よく他人の考えに従い、直接自分の観点を言いませんでした。この欠点は私の多くの執着心を奥に隠し、自分自身もこれらの執着を隠そうとしていました。

 自分を分析してみると、心の奥深いところでいつも自分の結婚を後悔し、縁談はやはり釣り合いのとれたほうがいいと思いました。でなければ、舅との交流もそんなに難しいわけではないと思いました。同修と交流する時、また常人と話す時、さらに舅の話、行為などを笑い話にして伝えました。私はずっと舅の欠点を言い訳にし、トラブルの中から自分の原因を探し、向上することができませんでした。

 師父は『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』 の中「あなたは自分のこれらの苦痛、自分の魔難を全部悪いことだと思っていれば、それは即ち常人です。苦しむことは業を償っているのであって、思うようにならないことは心性を高めることができ、常人にとっても実は同じ理です。すべては業を消しているのであって、業を消してから良い来世を得られます。ただ、人間にはそれが分かっていません。修煉の場合、業力を消して、修煉の中で心性が向上し、最後に圓満成就になります。大法弟子にとって、これは最も基本的な法理であり、最も基本的なことです」と説かれました。

 学法を通じて道理を理解し、着実に修めるしかありません。どんなことに出逢ってもよく自分のことを反省し、間違ったらすぐ認めます。夫の話で言えば「一般的には5時間以内で、自分の間違ったところを認識できる」というのです。私は、5時間でも長すぎると分かっています。よく修めて、よくない念が出たとたんに取り除き、どんなことに出逢っても、第一念は大法に従うべきだと思います。

 私の体験では、よくない執着心はいろんな問題の中から出てくるので、この良くない執着心を取り除くことができれば、トラブルは根本的に解決できると思います。

 2009年8月13日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/10/206233.html

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