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7年間刑務所生活を強いられた挙句、釈放時に保証金を強請られる

(明慧日本)2009年4月27日、遼寧省瀋陽市東陵刑務所の門の前で、怪しい出来事があった。この日は莊河市光明山鎮に住む大法弟子・劉桂春さんが不当に判決を下された7年間の刑期が満了する日である。家族は車を借りて迎えに来たが、地元の派出所もパトカーを出動し、劉さんを迎えに来た。

 劉さんは家族と帰ろうとした時、警官らは突然彼らに「保証金」を強請った。この時、家族はやっと派出所が劉さんを「迎え」に来た目的が分かった。もちろん、家族はこの合理性のない要求をただちに拒否した。

 劉桂春さんが家に戻った後、派出所はすぐ家に来て、彼に「筆跡登録」を要求した。これも劉さんは拒否した。

 劉桂春さん(33歳前後の男性)は遼寧省大連地区莊河市の光明山鎮小営村前劉屯に在住、1999年7月に瀋陽大学を卒業した。法輪功を修煉しているという理由で、2002年4月28日、大連市金州区裁判所に不法にも7年の実刑を言い渡された。

 2回北京へ陳情に行き、迫害に遭った

 2000年4月、劉桂春さんは法輪功の真相を伝えるために上京しようとして、金州区列車駅に着いたところ、駅前派出所に連行され、莊河市に15日間拘留された。その後、地元の「政法委」、派出所が彼に保証金を要求し、保証書を書かせようとした。

 2000年6月、劉さんが再び上京した時、北京市の警官に北郊留置所に連れられて、殴打された。そして、劉さんは大連市麻薬患者強制収容所に移送され、家族は収容所に「食事代」を強請られた。その後、劉さんはまた莊河市留置所に移送され、そこで毎日のように残酷な拷問を受けた。顔が腫れあがるほど殴られ、鼻血もたびたび流した。背中から臀部まで一面が黒っぽい紫色になった。声帯が損なわれ、右肩に障害が残った(劉桂春さんを管理した警官は楊という)。拘禁中、公安局はまた劉桂春さんの家を捜査してお金を強請った。家には現金がないため、警官は価値のある品物(食糧、家畜など)の詳細を全部記録した。

 2ヶ月後、劉桂春さんは大連労働教養所に移送された。過酷な肉体労働を強いられたため彼の体はガリガリに痩せ、住むところは湿度が高いため、彼は全身、疥癬(かいせん)という皮膚病にかかった。刑期が4ヶ月延長され、2001年11月にやっと釈放された。釈放されて間もなく、地元の派出所はまた劉さんの家へ、恐喝に行った。劉さんの母親はあまりの恐ろしさに、その場で意識を失って倒れた。

 不法に7年の実刑を言い渡された

 2001年春、地元の派出所(所長・劉潔)は再び劉桂春さんの家に来て、嫌がらせ行為をはたらいた。仕方なく劉さんは家を出て、転々としていた。やがて、2002年4月27日、大連市金州区龍王廟派出所の警官が彼を金州区留置所に連行した。

 当日、派出所と留置所の警官が劉さんの持ち物を検査する時、劉さんが持っていた千元近くの現金を横取りしようとした。劉さんに拒否された結果、「布団代」として220元しか劉さんに返さなかった。劉さんは留置所で断食抗議を行った時、強制的に灌食をされた。

 2002年11月、劉桂春さんは金州区裁判所に不法に7年間の実刑を言い渡され、瀋陽第2刑務所に拘禁された。2007年12月19日、瀋陽市東陵刑務所に移送された。東陵刑務所で警官の指図の下で、他の囚人が劉さんを殴ったため、劉さんは頭部を怪我し、今も治っていない。

 2009年8月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/3/205804.html

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