日本明慧
■印刷版   

観念を改め、善をもって人を救う


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)私は1996年より法輪大法を修煉し始め、学法をしながら心性を修め、心身ともに改善できました。1999年「7.20」より、中国共産党は天地を覆い隠すかのように法輪功迫害を開始しました。私は北京へ行って陳情し、会社およびその他の環境下でも公に真相を伝えていました。この10年来、邪悪の迫害から正念で脱出し、正法時期の大法弟子として「三つのこと」を行い、真相資料やDVDを配布したり、真相スローガンが書かれた紙を貼ったり、家庭で資料点を建てたりして、地区の協調人として4年間担当したこともあります。しかし、「三退」を勧め、人を救うことを上手くできずに悩んでいます。5年間で私が勧めて脱党した人はたったの3人しかいません。自分の身の回りの家族、親戚、友人にさえも勧められなくて、どうしようもない状態でした。

 最近、師父の新経文『2009年ワシントンDC国際法会での説法』を学んで、豁然と悟りました。自分は、数年来慈悲心と善を持って人に「三退」を勧めておらず、ずっと人の観念でその人を救おうとしていたことに、最近やっと気がつきました。ですからよくない要素を解体できず、効果も得られなかったわけです。「大法弟子が真相を伝えるとき、その人を救いたければ、人間の負の要素に触れてはいけません。必ず善であってはじめて、問題を解決でき、その人を救うことができるのです」「実は慈悲心は巨大なエネルギーであり、正神のエネルギーなのです」、「善の最大の表現は慈悲心であり、慈悲心は巨大なエネルギーの現れで、すべての正しくないものを解体することができます」と、師父はおっしゃいました。

 真相を伝え、「三退」を勧める中で、私はずっといかに人の心を変えられるかを考えており、また自分の言うことがいかに立派かと思わせ、人が受け入れられるかどうかを考えていませんでした。相手の執着を重視せず、相手の執着に沿って話すことができなかったです。相手を変えようとすること自体、救われる相手に対して善ではありません。ですから相手は受け入れないのです。相手を変えようとするため、いつも相手の考え方に逆らって話し、大多数は相手の考えと認識の執着に触れ、さらに相手の負の要素、悪の一面に触れてしまいます。そこで口論となり、過激な言動をとってしまうのです。最近、数年来の論争を振り返ってみると、大法弟子の善と慈悲心をまったく表せませんでした。今やっと、これでは人を救い済度することができないと認識しました。

 相手の観念を変えて、中共の邪悪さを認識させるために、私はよく歴史上の中共の悪事、および歴史を歪曲したことを曝して、『九評』および他の資料から得た真実の話をもって説明しました。大陸の民衆は中共に毒されていて、歴史の真実の真相を聞いても余計に疑いました。いまよく考えてみると私は幼稚でした。人が長い間中共に騙されて認識した観念を、たったの数十分で変えることは、そんなに簡単な事ではありません。もちろん分かる一面もありますが、自分が冷静でなければ効果は得られないのです。

 師父の説法は迷いの弟子に教え導かれ、師父の啓示は弟子に知恵を与えて下さいます。数年来に形成された人の観念と態度を変えて、中国共産党政権の邪悪な泥沼から人々を救う方法は、善と慈悲心を持って人を救うことです。以前の自分の考え方と比べてみると雲泥の差であると今やっと分かりました。実質からいえば、自分の認識や、やり方に執着しており、自分が正しいと思い、自分の認識で人を無理やり変えようとしたため、自分の善と慈悲心を発揮できなかったのです。さらに相手のよくない部分も解体することができず、効果が得られなかったのです。

 2009年8月26日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/18/206734.html

■関連文章
慈悲の力について
同修は私が魔難から抜け出すように手伝ってくれた
自分の習慣の中にある執着を見つけた
仕事の中で形成した観念を捨てる
人々を救うことは我々の使命
なぜ自分を緩めるのか?
明慧記者としての修煉体験
大法は人を救っている
自分をしっかりと修め、慈悲が出るように修める