■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/27/mh282862.html 



郭傳書さんは重慶女子刑務所で迫害され死亡

 (明慧日本)重慶市江津区に住む定年退職者の郭傳書さんは、2008年11月末に重慶女子刑務所に連行された。刑務所で迫害を受け、2009年8月9日に死亡した。郭傳書さん(享年62歳)は、過去に6回も中共当局に連行され、迫害された。うち2回は不法に労働教養処分を受け、2回は不法に実刑を言い渡された。1回目は重慶女子刑務所で迫害され、半身不随になった。

 郭傳書さんが死亡した事件について、重慶女子刑務所側は次のように述べた。8月9日午前ベッドから起き、身体は正常だった。正午12時15分にご飯を食べ、薬を飲んだ。13時35分に嘔吐し始め、13時42分に刑務所内の病院に送り、14時30分に病院から医者が来て、刑務所内の病院で緊急蘇生を行なったが、14時55分に死亡した。嘔吐してから死亡するまでは80分間だった。

 この事件の発生後、刑務所は15時35分に電話で郭傳書さんの親戚に知らせ、親戚が刑務所に駆けつけたのは午後6時過ぎだった。親戚は慌ただしく遺体に面会した後、遺体は重慶白石驛葬儀屋に移送された。この日、郭傳書さんの親戚を迎えたのは羅警官、張課長、王主任の三人。

 刑務所はチベットで仕事をしている郭傳書さんの娘に電話をして、郭傳書さんが死亡したことを知らせ、娘が8月13日に帰ってくると分かった。刑務所は家族に8月13日に遺体を火葬する必要があると知らせた。

 8月13日、火葬当日に来た家族は10人ぐらいだった。しかし、刑務所側は5人だけ代表して出席させるよう決めた。しかし親戚に反発され、火葬する日を延長せざるを得なかった。8月16日に火葬することになり、親戚はまた出席し、この日に遺体がようやく火葬された。この事件に関して、刑務所側は、郭傳書さんが2006年に脳梗塞を患い、2008年11月に女子刑務所で脳性麻痺、高血圧と診断されたことがあると示した。

 郭傳書さんの親戚が刑務所側に質問した内容は以下の通り。

 一、8月9日、親戚が遺体を見たとき、首に一か所、他の皮膚の色が異なり、少し青い部分があった。背中の周辺にある皮膚も同じく青くなっていた。これはどうことかと刑務所側に問い詰めると、死後に出る斑点だと答えた。

 二、死亡当日、13時35分から14時55分まで嘔吐したことを、なぜ家族に知らせなかったかという質問に、刑務所所長は、ただちに家族に連絡しなかったことは間違いだと認めている。

 三、刑務所が体調の悪い郭傳書さんをなぜ入所させたかという質問に、刑務所側は、送ってきた人はいかなる状況でも引き取るよう、上から指示があるためと答えた。

 四、親戚は何の病気で死亡したかと質問すると、刑務所側は急死したと答えた。親戚が郭傳書さんの生前に、郭傳書さんに強制的な労働を強いられ、精神と肉体に対して、極端な刑罰を与えたかと聞くと、刑務所の人はどうしても認めようとしない。郭傳書さんの娘は、2009年4月29日に母親と面会したが、当時とても元気で、気分はよい方だった。なぜ元気な人が急死したのかとても疑わしい。

 郭傳書さんは重慶市の江津区白沙鎮に住み、白沙輪駁駅を定年退職した。郭傳書さんは法輪功を修煉し始めてから、法輪功の素晴らしさを深く知った。1999年に法輪功が迫害されてから、郭傳書さんは法輪功のため北京に陳情に行ったが、連行され、2000年夏に不法に労働教養処分を受けたた。2001年9月、病気を患ったため一時出所し、家に戻ったが、2002年3月にまた強制連行され、15日間留置された。2002年5月、江津裁判所に不法に3年の実刑を言い渡され、江津区留置所に拘禁された。拘禁中、警官は62歳の郭傳書さんに強制的に足を広げてしゃがませ、手を後ろにして手錠をかけるなど無理な姿勢を長時間強いた。留置所所長である馮浩亮は郭傳書さんに、重罪を犯した者に使う重さ数十キロの足かせをつけた。また灼熱の夏に数十日間お風呂に入らせない、眠らせない、平手打ちをするなど、ひどく迫害した。

 郭傳書さんは連行され、重慶女子刑務所にいたとき、迫害されて半身不随になった。2004年夏、病気のために、再び一時出所した。

 郭傳書さんは2006年、再び不法に労働教養処分を受け、2007年旧正月の大晦日に一時出所した。2007年5月10日、郭傳書さんは白沙鎮派出所で警官たちに真相を伝えていたとき、派出所の警官に連行され、江津留置所に拘禁された。

 2008年5月24日、郭傳書さんは江津区德感鎮で法輪功の真相を伝えていたとき、江津区国家保安局に連行され、江津琅山留置所に拘禁された。その後、不法に4年の実刑を言い渡された。2008年11月14日に重慶女子刑務所六刑区に移動され、迫害を受け続けていた。2009年8月9日午後1時前後、重慶女子刑務所で迫害され、死亡した。

 (注:法輪功修煉者を迫害する主な責任者らの情報、中国語ページを参照)

 2009年8月27日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/21/206913.html

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