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同修の病業の関を助けて乗り越えた経験

(明慧日本)最近、数カ月の間、同修が病業の関を乗り越えるとき、私が手助けした少しの経験を述べます。

  1人の同修は、私が今年4月に面識を持った同修で、彼は歩くとき脚が悪くてびっこを引いていました。そのとき私は煉功者なのになぜこんな姿をしているのかと思いました。そして彼のことをよく知っている同修に聞いてみました。その同修は詳細を話してくれました。「彼の脚このような状態が現れて2〜3年になります。修煉する前、彼の脚は『大腿骨壊死』という病気を患っていました。彼は修煉した後その病気は治ったのですが、迫害が始まってから連行され、刑務所で3年残酷な迫害を受けました。そのため彼の脚の病気が再発しました。釈放されて2〜3年になります。彼は学法も、煉功も続けていますが、脚の病気は一向によくなりません」

  彼はある日、いわゆる「すでに円満成就した。もう学ばなくてもよい、煉功しなくてもよい」ということを信じた同修に按摩をしてもらい、気持ちがよくなったのですが、数日後、また前の状態に戻りました。私は師父の誕生日の日に彼と会いました。そのとき同修2人が彼の脚を按摩していました。そこで私は率直に同修の2人に言いました。「あなたたちは常人の方法で、間もなく神になろうとしている同修を治療しているのですよ」

  その日の夜、私は彼の家を訪ね、彼と今の病業の原因について交流しました。彼は悟性がとてもよく、多くの問題点をすでに認識していて、認識していない問題は私の指摘によって認識するようになりました。彼がすべての問題点を認識ができ、心性が高まったところで、正念を発し始め、彼の脚を痛めつける要素に、彼への妨害を止めれば、彼が円満成就したとき善の報いが待っているという一念を送りました。そして、しばらくして彼はソファから立ち上がり、私に「大分よくなりました」と話しました。私が2カ月後に彼に会ったとき、彼は杖を捨て自力でゆっくりと健康な人と同じように歩けるようになりました。

  私は彼のことを通して、大法弟子の正念は確かに威力があると痛感しました。純正たる正念を発したときは、師父の加持の下で、邪悪要素を滅亡させる力があり、不正な状態を正すことができます。それでは足の悪い彼が発した正念で、なぜ足がよくならなかったのでしょうか? それは彼が法の上に立って法を理解していなかったことと、足が痛くなるとガマンできないと思い、歯を食いしばり苦しそうな顔をするからでした。実は「痛」という物質は三界内の常人を制約するための生命であり、大法弟子を制約することはできないのではありませんか? それから彼は病気だと考え、自力では乗り越えることができない思い、同修に按摩をしてもらい治そうとしたからです。常人の治療法で「神」の病を治すことができるでしょうか? 根本から治そうとすれば、やはり法を理解し自分を高め、次元が上がれば、師父がその分よくないものを取り除いてくださるのです。もう一つの原因は同修が発した正念は純正たるレベルに達していなかったので、正念の作用を働かなかったこともあったと思います。

  もう1人の女性同修は、グループ学法のときにその同修は寝込んでしまい、ベッドから降りられない状態で、動くとみぞおちが激しく痛むとのことでした。私はその同修の家を訪ねました。初めに病業の状態を聞き、法の要求を満たしていなかったところを探し、以前病業に遭遇したとき、どのように乗り越えてきたのかについて交流しました。その同修は「以前病業のとき、私はどうしてもガマンできなくなり、気絶してしまいました。心の中で師父にお願いしました。『師父が私に先に行ってくださいとおっしゃってくだされば、弟子はおっしゃる通りにいたします。ここに残って法を実証しなさいとおっしゃってくだされば、弟子は随います。若し弟子が今行ってしまいますと、大法に泥を塗ることになります』 そして意識が戻ったのですが、やはり身体が動かなかったのです」 その同修は「三つのこと」をしっかりと行ってきました。しかし身体の状態はこのようになったのです。私はその同修を休ませて、気力が回復したところで一緒に正念を発することを考えていました。

  そして2人で正念を発し始めました。ところが、よくないものは私の身体目がけて突進し、私は毛穴から冷や汗が流れ始め、2〜3分間その状態が続いていました。そこで私は師父に「どうか弟子を加持し、これらのよくない生命を溶かし壊滅してくださいますようお願いいたします」とお願いしました。2〜3分後体が熱くなり、5分ほど正念を発し続け、その同修は「みぞおちから何か取り除かれた感じで、とても楽になった」と話しました。数分後その同修はベッドから降りて普通に歩けるようになりました。

  この度の正念で悟ったのですが、大法弟子を妨害している病業、またはよくない思想と雑念はほかの空間に存在している一種の「物質」だということです。これらのよくない物質や邪霊は、大法弟子の修煉ができていない部分の隙に乗じて妨害してくるのです。

  大法弟子よ! 大法弟子の称号は宇宙の中で最も神聖なる称号です。それなのに正念を発するときに眠ってしまい、掌が垂れて落ち、学法をするときも脳裏が無になっていません。正法の環境が厳しくなれば「安全」を理由に家に閉じこもってしまい、このようなやり方は多くの同修の中で一つの参考モデルになっていて、それを変えようと思わず、変えようと努力しないのです。そして正法を始めたとしても正々堂々と行っていません。身内に真相を伝えるときも、心をこめて伝えていないのです。これではいけないのではありませんか? 「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)。最後の最後となり、私たちははっきりと醒めていなければなりません。そうでなければ正法の進展の足を引っ張ることになります。そこで正法が終了すれば、あなたをどの位置に置けばいいのでしょうか?

  2人目のその同修の話に戻りますが、私はその同修にはどこに問題があったのかははっきりと分かりませんが、ただ言えるのはその同修の状態が、これから修煉を始めようとする人々の妨害となり、その同修自身が真相を伝えるときの妨害にもなりうるのです。なぜならば、修煉を始めようとする人たちはその同修の状態を見て、このように思うかもしれません、修煉してなぜ病弱な身体になったのか? 言っていることと違うのではないかと思うでしょう。だから真相を伝え、「三退」を勧めるときも挫折に遭うかもしれません。これは小さな問題でしょうか? 衆生済度に直接影響を与え、その人たけが済度されるチャンスを失うのではなく、その人が対応している厖大な宇宙の衆生のすべてが救われるチャンスを失うのです。だから私たちがしっかりと行えなければ、億万年を待ち続けた衆生を裏切ることになります。あなたが常人の中で善い行いをしたとしても特に大きな反応が返ってこないのですが、あまり善くないことが起きれば瞬く間に広がるのです。それは邪悪が待ち望んでいるからです。

  ですから、最後になればなるほど精進し、歩む道が少しもずれてはいけません。師父に要求された通りに自分を修めれば、あなたの正念はますます強くなり、もし病業という関に出会っても、あなたは容易に乗り越えることができます。

  次元が限られており、不適切なところがあれば、どうぞ指摘してください。

  2009年8月30日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/20/206793.html

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