■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/09/16/mh171331.html 



善の念で同修の不足に対応することは、一丸となるために肝要なこと

(明慧日本)迫害が始まってから、私達は度重なる困難や苦労の中から10年を歩んできて、すでに修煉上で成熟しているはずです。しかし実際のところ、同修たちは協調、協力の上でずっと多くの問題があって、強大な一丸となっていません。プロジェクトで協調人と協調人の間、同修と協調人の間、同修と同修の間で協力せず、互いに相手にいろいろと意見を持っています。師父の説法が出た時は、これらの現象は一時的に緩和されますが、時間が経つにつれ、また元の状態に戻ります。衆生を救うことでもっと大きな突破がありませんでした。

 同修の間の協力の問題は、同修が修煉上で正念が足りず、心理状態が正しくないためもたらされた結果です。自分が見て、聞いて、遭ったことから分析してみると、最大の原因は同修が互いに他の同修の不足と欠点を寛容できず、善意を持って手伝わないからでした。他人の不足と欠点を見つけたら、すぐどのようによく行っていないとか、どのように精進していないなどと指摘します。この時、指摘された同修も相手の不足と欠点を指摘してあげると、ある時は不愉快になり、二人の間に隙間が生じます。時間が経つにつれて、同修もこのようなトラブルがあってはいけないと分かり、出来るだけ互いの指摘を回避しようとします。それで表面的には昔より良い環境になっているようですが、内心では徹底的に他人に対する考えを放下していませんでした。一旦出来事がある時、とりわけ邪悪に妨害される時は、非常に明らかに暴かれます。

 互いに指摘する問題が長い間解決されないのも、やはり同修たちが内に向って探さなかったからです。なぜ、常人に利益が侵された時は一笑に付しますが、同修の不足を見た時は寛容できないのでしょうか。同修の不足にどのように対処するかも、私達が乗り越える関と試練です。師父はおっしゃったことがあります。弟子の間のトラブルは師父が私達の執着を取り除くために按配されたものです。このような問題の存在は私達の修煉が成熟になっておらず、時々刻々内に向って探しておらず、大きい善の心で同修と接していないからです。私達の心がまだ広くなく、心性がまだ高くないからもたらされた結果なのです。

 時間は人を待たず、正法はもうすぐ終わりますす。もし、これからも同修が互いに協調、協力に問題があって一丸とならず、私達が誓いを立てた、救おうとする衆生が壊滅されたらどうしますか。私達は師父の正法を邪魔した罪人ではありませんか。同修の間でもこれ以上トラブル、警戒心があってはならなく、心の扉を開いて交流し、善の念で同修に対応すべきです。自分の内心から問題を探し、まず自分から真に修煉の環境を円融し、同修と一丸になるべきです。それで、私達が師に遵って法を正すことをもっと良く行い、より多くの人を救うことができるのです。

 2009年9月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/14/208222.html

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