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観念を取り除き、修煉の道を正しく歩む


文/長春の大法弟子

(明慧日本)私は家庭観念にとても執着していました。1999年以降、新たに学法グループが成立した時、私は法を学ぶ時間を公休日に設けていました。しかし私の仕事は、すべての公休日に休めるというわけでもなく、休みの日には、家にいて夫と子供に付き合いたいため、集団学法にはほとんど参加せず、1カ月に1回しか行きませんでした。集団学法は尊師が按排された修煉形式であり、私達は共に向上し、精進することができるのです。ですから、条件が合う同修は参加するべきだと同修に指摘されましたが、私は自分の家庭観念に妨げられて、「私はあなた達と違います。あなた達は毎週土日に休みますが、私は土日のうち一日しか休めません」と言い訳をしました。また、これが「最大限、常人に符合している」とも思っていました。同修は何度も、私と集団学法の重要性について交流してくれました。ですから私も毎回の集団学法に参加するようになり、同修との交流を通して、自分の不足を見つけることができ、常に精進の状態を保持できることに気がつきました。集団学法に参加しなければ、自分に対する要求が緩み、とても怠慢になりやすいことにも気がつき、家庭観念に対する執着を取り除こうと決意しました。しかし、夫の機嫌が悪くなるのではないかと恐れていました。

 学法、明慧に掲載された文章の閲覧、同修との交流を通して、次第に私は大法の素晴らしさを認識することができました。これは全ての大法弟子の観念です。このような観念で問題点が現れたとき対処できれば、物事がうまく解決できないわけはありません。同修がこのような環境を渇望しても出会える保証はないのに、尊師は私にこんなに良い修煉環境を按排してくださいました。ですから大切にしなければ、尊師に申し訳が立ちません。そこで、私は必ず集団学法に参加する決心をしました。

 観念を変えてから、私は夫に「大法を修練している人は皆とても良い人です。考えて見てください、私が修煉していない時には、家族との対立が多く、数日に一回必ず口喧嘩をしていましたが、修煉を始めてからは、私たちの家族はこんなにむつまじくなっています。あなたは私を支持すべきです」と言ったら、夫も賛成してくれました。それ以来、夫は二度と私が集団学法に出かけることに反対しませんでした。ある公休日に、夫は超過勤務があって「今日私は、もう学法に行きません。家で子供の世話をします」と言ったら、夫は「行きなさい! 私が子供を連れて出勤します」と言ってくれました。私は、彼に真相資料を見せて、大法の道理を伝えたので、夫もますます大法を認めるようになりました。

 ある年、夫の会社で健康診断があり、検査の結果、彼の肝臓に1つの小さな脂肪腫がある事がわかりました。夫がウェブ上で検索してみると、それは大きくなる可能性があり、それに悪性の腫瘍に転化する恐れもあり、手術しなければならない可能性がある人もいるとのことでした。私は「大丈夫です、毎日『真、善、忍』は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい! と言えば、きっと良くなりますよ」と言いました。 

 口先ではそう言いましたが、心の中ではやはり不安でした。学法グループの同修と交流してみると、「物事に直面したとき、まだどんな心が放下できていないのかを心の内に向かって探すことです」と指摘されました。そこで私は、自分がまだ尊師と大法を堅く信じていないことに気が付きました。ですから、夫にもよく大法修煉の過程で起きた不思議な話をしてあげました。そして、何文字かを常に黙読するようにと夫に言い聞かせると、夫も承諾しました。2年後、夫は再度健康診断を受けましたが、検査の結果は全て正常でした。このことで大法の不思議さを実証しました。

 集団学法、及び同修との交流を通して、物事に直面した時、法理に照らし合わせて速く対処でき、向上していると感じました。みんな互いにしっかり学法するようにと促し合い、物事に出遭ったら、心の内に向かって探し、三つのことをしっかりと行います。私はこの修煉環境を按排して下さった尊師に心から感謝しております。そして同修の私に対する無私な助けに感謝しています。これらのことを通じて、私の家庭観念に執着した心を放下させてくれました。 

 私は悟りました。尊師が私達に按排して下さった全ての事は最も良いことで、最も有益なのです。私達が人の観念を放下して、尊師が望んでいらっしゃることに円融し、正しい修煉の道を歩めるかどうかということです。

 2009年9月19日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/9/3/207648.html

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