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師父と法を固く信じ、世人を救い済度する


文/長春市の大法弟子

(明慧日本)私は67歳の女性大法弟子です。1997年に法輪功の修煉を始めました。その時、師父が私の天目の前に「喜」という字を示してくださり、大変めでたいことだと分かりました。

 修煉する前、私は勤めている会社で有名な病欠社員でした。作業場に合わないため、仕方なく後方勤務をし始めました。私は肝硬変、潰瘍、副鼻腔炎、膵炎、神経衰弱、ぜんそくなどの多くの持病を患って定年になる前に退職しました。しかし、法輪大法を修煉してから、慈悲なる師父が私の身体を浄化してくださり、2カ月後、病気が全快し、はじめて病気がない気持ちを味わうことができました。

 1999年7月20日、中共が大法を迫害し、師父を中傷し始めました。私はとても悲しくて毎日涙を流し、このような素晴らしい大法を最後まで修煉し続けると誓いました。

 師父は弟子が関門を突破することを加持してくださる

 2000年12月、私を含む数人の同修は北京に行き、陳情することに決めました。駅で、私たち4人が一列になった改札口のところで、突然鉄路警官4人がみえ、それに驚き、邪悪に弱みを突かれました。警官は私のチケットを取り上げ「北京はとても混乱しているので、行かないほうが良い、チケットを返却してあげる」と言い、私を駅の派出所に連れて行きました。私は恐怖心があったことを後悔し、とても焦って列車が出発するのを恐れていました。しかし突然、慈父なる師父が私の頭の中にある言葉を啓示してくださいました。私は師父が啓示してくださった言葉を心の中で繰り返し念じました。「師父があり、法があるので、何も恐れることはない」

 このとき奇跡が現れました。チケットを持っていた警官の手が震えて、「早く行きなさい、まだ間に合います」と言った。私は派出所を出で、涙をこらえながら列車に乗り、無事に天安門に着きました。この事件で慈父なる師父は常にそばにいて、常に私たちを見守っておられると深く感じました。

 もう一つの出来事は2002年の時でした。私は法の理解が浅く、仕事をする心がとても強かったのです。ある時、地方で法輪功の真相資料を配っていました。持って行った数十冊の資料は全部配りました。資料を配る途中である人がドアに挿してあった資料を見て去って行き、告発しに行ったみたいでした。私は資料を配り終えビルから降りたとき、ある私服警官を見かけました。その警官は急いでビルの上に行き資料を証拠として持って駆け付けて来て「待ちなさい、派出所に行きましょう」と叫びました。私は逃げませんでした。師父にその警官がその場から動けないようお願いしました。すると、その警官の走る音が聞こえなくなりました。私は振り向かないで、その場を去り、バスに乗って行きました。少し怖かったです。これでもう一度大法の奇跡を感じました。二つの例をあげましたが、実際は大法の奇跡を体感したのは二度に留まらないのです。

 慈悲で世人を救う

 中共が大法を迫害して以来、偽りの事件をねつ造し、世の人々を騙し、多くの生命を毒害しました。こんなに多くの人がテレビや新聞を見て、毒害されている、将来はこれらの生命はどうなるのか、未来があるのか、と思いました。

  一度に大法の真相と自分が大法を修煉して良くなったことを文書に書き、人々に大法の真相を伝えようと夜外に出て貼りました。昼間は買い物の時、人々にテレビの言うことはすべて嘘であると教え、私たちが「真善忍」を修煉し、良い人を目指していると教えると、多くの人は聞き入れてくれました。

 それから、人が賑わうところへ行き、人々に法輪功の真相を伝え、真相資料を配りました。ある日人々に真相を伝えているとき、私は、もしあなたたちが平安に暮らしたいなら、私と一緒に「法輪大法は素晴らしい」と言ってくださいと言うと、その結果、みんな一緒に「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい!」と言いました。その時、どんなに嬉しかったことでしょう。その後、三退を勧め、彼らになぜ党団隊を脱退すれば本当に平安に暮らせるかを説明すると、ほとんどの人は脱退に賛成しました。

 そして、私は赤い布と黄色の布を買い、家で「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と書き、祝日など敏感な日を選んで外に貼りました。効果はとても良いものでした。

 以上私が行なったこれらのことは師父の慈悲なる加護のもとでできたことです。私は厳しく自分を律し、法と師父に従い、出来事に遭ったら内へ向かって探し、円満になって師父とともに帰ります。

  2009年9月30日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/9/20/208662.html

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