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楊小晶さんの遺体は他郷で寒々と火葬された

(明慧日本)娘の楊小晶さんを亡くした老夫婦は2009年10月8日、悲痛な思いで、葬儀の相談のために遠く甘粛省天水刑務所を訪れ、娘の夫の曹東さんと面会しようとした。早朝、刑務所に着いた2人の前に現れたのは、外にたくさんの私服警官、中にも多くの警官がいた。面会は窓ガラスを隔てて伝言マイクで話すことを許されたが、曹さんが妻の告別式に参列することは刑務所側が禁止した。

 10日間遺体安置所に置かれた楊さんの遺体は2009年10月10日、簡単な告別式を行った後、火葬した。楊さんの母は悲しみに耐えられずその場を離れ、告別式は楊さんの父と叔父が他郷で簡単にすませた。

 楊さんと夫の曹さんは元々幸せな生活を送り、誰もが羨やむ夫婦だったが、2000年以降、中共に不法に拘禁されていた。結婚して9年だが、2人が一緒にいた期間はたった数週間しかなかった。楊さんは2回、それぞれ4年の労働教養を下され、夫の曹さんも4年と5年の判決を下され、夫婦2人は極限まで苦しめられた。

 妻の楊さんを救出するため、北京外国語大学を卒業した曹さんは2006年5月21日、欧州議会副議長のエドワード・マクミラン・スコット氏と面談した。その2時間後、警官に強制連行されて拘禁され、ついに2007年2月8日に5年の判決を言い渡された。

 2006年8月、北京女子労働教養所を釈放された楊さんは夫を救出するよう世間に呼びかけたが、当局に脅された。2007年8月、楊さんは曹さんの友人である于宙さん(北京の歌手)と共に弁護士を雇おうとしたが、間もなく于宙さんは強制連行され、楊さんは北京で放浪するしかなかった。

 2008年3月、于宙さんが迫害されて死亡した情報を聞いた楊さんは、悲しみに耐えられず倒れた。2008年8月病院の診断によると、リンパ細胞癌だったという。2009年10月1日、45歳の楊さんは無念の思いを抱いたままこの世を去った。

 楊さんの死は、中共が法輪功を迫害することによって作られた、また一つの新しい罪である。中国でのこの悲惨な迫害を制止するため、中共の本質を認識し、中共を解体し、中共に拘禁された幾千幾万の法輪功修煉者を救出するよう全世界の善良な人々に呼びかける。

  2009年10月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/13/210295.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2009/10/15/111625.html

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