日本明慧
■印刷版   

あなたは正しい修煉をしていますか?

(明慧日本)多くの同修は毎日学法をしており、中には暗記をしている人もいます。にもかかわらず、なぜ心性を高める出来事に遭遇したとき、修煉者としての行動がとれないのでしょうか? 私は長い間考えた末、一つの問題点を見つけました。それは、同修の中には学法をしていても、法は法であり、自分は自分だと捉え、法と自分の間を何かで切断しています。そのため、日常生活で心性を高める出来事に遭遇しても、すぐに法を思い出すことができず、内に向って探すことができません。

  学法をするのは、すべてのことに対して、法に従って物事の解決に努め、法に従って自分の考えを正し、さらには法に従って自分の悩みや苦痛を取り除くためです。修煉者の中で、内に向って探すことを頭では理解していますが、実際どのように内に向かって探せば良いのか分かっていない同修もいます。私の悟りからすれば、内に向って探すには、まず法をたくさん学び、法の要求に従う必要があります。もう一つ肝心な点は、どのように法と自分の主意識をつなぐかであり、これが最も重要な「悟り」なのです。

  私は1996年、高校1年の時に修煉を始めました。私は師父が法を伝える生い立ちが書かれている書物を拝見しました。そこには次のことが書かれていました。師父は8歳の時、目頭に「真・善・忍」の三文字がやきつけられ、どんな時も「真・善・忍」が見え、そして「真・善・忍」を基盤に自分の一言一行に気を配って来られた、と書かれていました。

  これを読んだ時、私は一つの方法を思いつきました。それは絶えず「真・善・忍」を唱えることです。歩いている時も、ぼんやりとしている時も「真・善・忍」を唱えました。どれほど唱えたかと言いますと、私はどんな出来事に遭遇した時も、真っ先に「真・善・忍」の三文字を思い出す程でした。法を暗記することもこのためにあると私は思います。心性を高める出来事に遭遇した時、まず法を思い出すことが最も肝心です。

  これができなければ、内に向かって探すことができるはずがありません。私は長い間、「真・善・忍」を唱え続けてきたことで、どんな出来事に遭遇した時も「真・善・忍」を唱え、そして、「真・善・忍」に適した行動をとっています。これによって、法と自分を照らし合わせて内に向って探すことができ、正しく修煉することができます。

  まずは学法をしっかり行い、その後、法を暗記します。そして心性を高める出来事に遭遇した時は法を思い出し、法に従って自分を指導していきます。さらに法に従って自分の思想をはかり、法に自分自身を溶け込ませるのです。そうすれば、外出先でも、何か出来事に遭遇した時も、あるいはそうでない時も、自分自身を高めることができます。このように行うことが、真の大法弟子なのです。

  2009年11月5日
 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/29/211312.html

■関連文章
観念を取り除き、修煉の道を正しく歩む
家族との約束
二言三言:いい加減にしてはならない
学法するときの姿勢について
「修煉」について悟る
修煉の道に些細な事はない
学法さえすれば乗り越えられない困難はない
大法が私を変えた
同修よ、再び迫害されないようにしよう
自我を放下すれば修煉の中にいる